あの娘が一人で

今朝は、娘と一緒に家を出る事にした。私は車に乗るので、学校へ向かう娘の後姿を見送る。思えば、娘がたった一人でどこまでも歩いてゆく姿を見るのは生まれて初めてである。なんという異様な光景であろう。あの娘が一人で歩いてゆくのである。成長したことへの感動と、これからどんどん親の手を離れていく事への寂寥感がないまぜになったこの感情。なんといって表現していいかわからない・・・・・

グリーグ ペール・ギュント組曲

エルムレル指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
例の廉価盤シリーズ。「朝」「山の魔王の宮殿にて」「ソルヴェーグの歌」は誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。やはり北欧情緒たっぷりだが、この人は作曲技法がしっかりしているために、浅薄にならないところがいい。しかしこの話はラストが悲しすぎてつらい。ひたすら待ち続けたソルヴェーグがあわれでしょうがない。
今度はフィンランドシベリウスもまた聞きたくなるな。

黒又山

今年のGWは1日ぐらいかけて、久々に大石神や黒又山を訪れようかと思っていた。以前駆け足で行った時と心境が変わってきていると思うので、又違った印象があるかもしれないと思ったのだ。大湯ストーンサークルと黒又山と大石神ピラミッドはレイラインを作っているし、間には他にもピラミッドと言われる十和利山やエデンの園といわれる迷ケ平、ヘブライがなまったと言われる戸来岳等、興味深いものがいっぱいある。
で、最近、黒又山が脚光を浴びているようなので、昨年末に出たばかりの関連本を買ってみた。ところが内容は意外なものだった。ツタンカーメンの呪いではないが、調査チームの面々に早すぎる死や事故が相次ぎ、著者自身もその例に漏れず、あげくは仏教系の新興宗教によって救われてゆく姿が描かれている。その教祖の霊視によると、黒又山自体が御神体であるため、敬意をもたずにむやみに登ったり、調査すると危険だということらしい。以前たずねた時は登ったんだがなあ、その時より霊力が高まってきているのだろうか。著者の言うことを鵜呑みにするわけではないが、御神体と聞いては、おろそかにできない。登れないのなら、行くのをやめて、大石神だけにしようかなと思っている次第。でもその本を読まなかったら、ほいほいと出かけて登ってしまうところだった。ちゃんと読むように導かれていたのだろう。

ケイト・ブッシュ「アイルランドの女」(ケルトと縄文)

ひょんなことから、ケイト・ブッシュが「アイルランドの女」というドラッドを歌っていると言うのを知った。彼女はケルト系では無いと思っていたが、母親がアイルランドだそうだ!しかもゲール語で歌っているらしい。しかし、彼女の正規のアルバムではなく、ケルト系のミュージシャンを集めたオムニバスのようで、とっくに廃盤で、えらい高値で取引されている・・・・あ、別のコンピに入ってた!
そういえば、黒又山の本にも、ペトログリフという、石や岩に刻まれた文字がシュメールやケルトに関連があるらしいと書いてあったが、やはり私が書いたとおり、縄文とケルトにはつながりがあるのかも・・・・
しかし、去年からケルトケルトと騒いでいるが、いろいろなものが実はケルトだと分かってくる、しかし、なぜなのだろう、なぜ魅かれるのだろう?ケルト、縄文、蝦夷ネイティブ・アメリカン・・・・単なる判官びいきのセンチメンタリズムだとは思いたくないな。