ブルックナー 交響曲第7番

マタチッチ指揮 スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団(1984)
マタチッチの最晩年のブル7である。実は、かなり前に購入してはいたのだが、最初の1,2分を聴いた時点で、必ず「チェコ・フィル盤はどうだったけ」と思い、そのままチェコ・フィル盤を聴いてしまう、ということを数回繰り返し、未だにちゃんと聴いていなかったのだった(大汗)しかし、こんなことをしてられない、と心をいれかえて聴く。
チェコ・フィル盤に比べ、シューリヒトのブル7とは違った意味で枯淡の境地。癒されているうちに、いつの間にか曲が終わってしまう。チェコ・フィル盤ではテンポの変化が大きすぎたフィナーレも落ち着いている。スケルツォがやはり遅すぎるのと、時折オケの弱さが露呈するのが欠点だが、チェコ・フィル盤にせまる名演といえる。

ブルックナー 交響曲第7番について

ブル7についてよく言われるのが「フィナーレが小規模で物足りない」ということ。
しかし、そもそも古典派の交響曲のフィナーレは比較的軽くあっさりめにするのが形式上のきまりだったし、かのベートーヴェンも(それで文句を言われるが)第3番「エロイカ」のフィナーレは小規模である。
そう、実は私が以前から密かに考えていたのが、ブル7は「エロイカ」を若干意識していたのではないかなあ、ということ。
調性こそブル7:ホ長調、エロイカ:変ホ長調で半音違うが、
第1楽章の第1主題が分散和音であること
アダージョが葬送音楽であること
そして比較的小規模なフィナーレ
と、まさにエロイカではないかっ!
と、書いてはみたものの、本人も無理があることは承知している。だって、主題が分散和音ってブルックナーベートーヴェンも大概そうだしね(笑)
しかし、ブル7自体が、どちらかといえば内容的にはそう濃くないのだから(アダージョは感動的だが、あまりにも転調による繰り返しに頼りすぎなような気が)フィナーレが小規模なのはバランス的に正解だと思うのだが。