1950年1月30日のクナッパーツブッシュのベルリンフィルコンサート

1950年1月30日のクナッパーツブッシュベルリンフィルコンサートの曲目であるが、
ワーグナー「パルシファル前奏曲
ベートーヴェン「コリオラン序曲」
シューベルト交響曲第8番『未完成』
ブルックナー交響曲第9番」
最初は、これってありか?と思ったが、通しで聴いてみるとなるほどと納得した。その点についてはのちほど。
さて「パルシファル前奏曲」。ワーグナーは人間的にも哲学的にも嫌いな作曲家であるが、音楽の美しさには勝てないので、時折、ローエングリンマイスタージンガーやこのパルシファルの前奏曲を聴いてしまうのだった。
手元には(すべてクナ)1950年のスタジオ録音と1962年のバイロイト音楽祭ライブ、あとミュンヘンフィルの1962年をアナログ時代持っていたが、CD化の時2枚組レコードをCD化する際に良くある話で、落とされていて、手元に無い。今はどういう売り方をされてるか知らないが、いつかは手に入れたい。1950年とこのライブの差はさすがにほとんど無く、オケの違いが若干仕上がりに影響している程度(スタジオはウィーンフィル)こってりとしていながら、澄んだ美しさを失わない名演。1962年は、かない油っけが取れた感じ。しかし、こんな曲をコンサートのしょっぱなに聞いたら、1回分のコンサートを聞いてしなったぐらいのボリュームを感じてしまいそうだ。
次はコリオラン序曲、そもそもベートーヴェンは、主題がほとんど分散和音なので、変奏の題材として扱いやすいがために、ソナタ形式の展開部の充実という結果になり、それが彼の曲の魅力につながっているし、主題を単なる分散和音と感じさせないセンスがゆえに天才と言われているが(「運命」を聴けばよくわかる)そのベートーヴェンの特質をもっとも生かして表現できるのが、フルトヴェングラーであり、彼のアッチェランド、クレッシェンド、デクレッシェンドは、正にベートーヴェンの長所を伸ばし、短所を短所と感じさせないマジックである。その点ではクナはフルトヴェングラーには及ばないのであるが、クナはベートーヴェンベートーヴェンとして振ってないので、全然ノープロブレムなのだ。正に、このコンサートで、パルシファルに続く曲としての解釈はこれでいいのである。あまりこの表現は使いたくないが、正にデモーニッシュである。
そして、未完成である。前にベートーヴェンのように振っていると書いたがまちがいである。実は、このコンサートは、パルシファルに始まり、ブル9で終わる、クナの内なるワーグナーなるもの表現の一連の流れの中で、ベートーヴェンがありシューベルトがあるのであった。そうやって聴くと、シューベルトも、納得できる演奏である。こういう発掘音源ものは、もともとのコンサートの何曲目に演奏されたものであり、その他の曲は何だったのか、を知らないと、その演奏の評価は的を得ない可能性があるのでは?と思わされた。
最後のブルックナー9番は、1950年1月28日の録音が既に出ており、クナらしからぬせわしないテンポの動きと、改訂版の使用で、彼の演奏としては、とてもではないが私は評価できかったのであるが、たった二日後のこの演奏はどうしたことだろう。(1月28日ゲネプロと判明 2009/5/8)やはり彼の演奏にしては、テンポの動きはせわしないのだが、私の許容範囲ぎりぎりに納まっており、そうなってくると改訂版の使用の欠点がかなり緩和されて、かなりいい感じに仕上がっている。この曲の私のベストはシューリヒトであることに揺るぎは無いが、2位はこのクナを持ってきて、マタチッチを下げざるを得ないかも。しかしたった2日で何があった?っていうか、やはりその日の気分か、この人は?
訂正記述

1950年1月30日一晩の演奏というのは私の早とちりで、「未完成」ブル9のみ1950年1月30日で、パルジファルは1942.3.31 コリオランは1950.11.6であった。恥ずかしい話だが、文章は訂正しないでそのままにしておく。
追加情報、1950年1月30日はクナッパーツブッシュの戦後ベルリン・フィル復帰演奏会で、聴衆、オケが熱狂したとのこと。むべなるかな。