「ゲド戦記外伝」の前書き

最終巻の前に、「ゲド戦記外伝」の前書きを読んでみた。ちょっと長文だがその一部を下記に引用する。特に感想は書かないが、お読みの方はわかってもらえると思う。

 私たちが古い物語を大切に思うのは、それが変わらないからである。アーサー王はいつもきっとアヴァロンで夢見ているし、ビルボは「往って還」ってくる。そこにはいつもなつかしい、いつものホビット庄が待っている。そして、ドン・キホーテは風車を槍で突こうと何十何百年と変わらず、やっきになっている、といった具合である。こうして人びとはゆるがない確かなもの、遠い昔からある真実、変わることのない単純さを、ファンタジーの領域に求めるのである。
 すると、多額の金がそこに注ぎこまれる。需要に供給が追いつくようになる。ファンタジーはひとつの商品となり、ひとつの産業となっていく。商品化されたファンタジーは危険を冒すことはしない。新しい何かを創り出すことはせず、模倣と矮小化に終始する。商品化されたファンタジーは、昔からある物語から知的で倫理的な奥の深さを消し去って、そこに描かれている人間の行為を暴力に変え、登場人物を人形に変え、彼らが語っていた真実のことばを、陳腐な、ありきたりなことばに代変えてしまう。ヒーローは剣を、レーザー光線を、はたまた魔法の杖なり棒なりを振りまわし、コンバインが機械的に刈り取りをしていくように、ガッポガッポと金をもうけていく。読む者を根底から揺るがすようなものの考え方はことごとく排除され、作品はひたすらかわいく、安全なものになっていく。すぐれた物語作家たちの、読者の心を熱く揺さぶった発想あるいはものの考え方はまねされ、やがてステレオタイプ化されて、おもちゃにされ、きれいな色のプラスチックにかたどられ、コマーシャルにのせられ、売られ、こわされ、がらくたの仲間入りをさせられ、ほかのものに置き換えたり、取り替えたりされていく。