その1

私は青森県は青森市に生まれたが、父の転勤が多かったので、しっかりした記憶は北海道札幌に居住している頃からである。母は私がおなかにいるとき、よく大声で歌っていたそうだ。赤ん坊の頃は音楽が聞こえると必ず首をふってリズムをとっていたそうだ。
音楽というものを意識したのはいつ頃だろう。テレビからは歌謡曲、アニメの主題歌等がどんどん耳にはいって来ていた筈。一度聴いた曲はほとんどすぐ歌えた気がする。
初めて買ったレコードは、「ドリフのほんとにほんとにごくろうさん」他は由紀さおりの「手紙」弘田三枝子の「燃える手」などを持っていた。
母はクラシック好きだったので、クラシックもよく聴いていた。その時子供心ながら思ったのは、その時いくら売れても、こうやって何百年たっても人々に聴かれて影響を与える音楽にはかなわない!ということ。また、生前に報われなくても死後に認められるような芸術家(例えばゴッホ等)にあこがれたりしたものだ。そのころから、キャッチャーやポップよりは、芸術指向があるものにひかれていたのだと思う。しかし本質的にキャッチャーやポップも大好きなので、長じるにつれ、常に内部で葛藤があったのも事実である。小学校5年の時に埼玉へ引っ越す。