津軽と南部

先日とある方のM○XI日記に「八戸市青森市に対抗意識がある」とコメントさせていただいたら、別の方から「同じ県内なのになぜ?」という疑問が提示された。この問題(?)については、何度か日記には書いているが、ちょっとまとめてみたいので、M○XIでは無く、こちらに書かせていただく。ちなみに私は青森市生まれ札幌、埼玉育ち、八戸在住(途中東京在住あり)である。なので、幾分客観的に見れると思う。
津軽と南部(八戸市)は、文化、気候、地質、方言が違う。元々津軽藩と八戸南部藩である。
 南部にはほとんど雪は降らない。スキーが滑れない人がいっぱい居る。スケートはその反対に盛んである。
 地質の違いで作物も違う。
 藩が違うのは明治政府が奥州列藩同盟のうらみから県がまとまりづらくしたのだという説もある。現に、他の東北の県境も、旧藩境と微妙に違う。これはたぶん東北のみであろう。
②元々、南部家家臣だった津軽為信が造反し、どさくさの中で豊臣秀吉に小田原で謁見し、所領安堵されたという経緯から、南部は津軽をずるいとうらんでいる。
③にもかかわらず、全国的に「青森」=「津軽」のイメージが浸透しているため、青森県がすべて津軽だと思われているのが腹立たしい。
 現に私も東京で、雪が多いでしょう?りんごしか取れないんでしょう?他に何にも無いんでしょう?と言われ反論する気も失せた事が在る。
 また八戸人は県外で出身地やどこから来たのかの問いに「青森です」とは言わず「八戸です」と言う。
 八戸の市役所は「八戸市庁」という。
以前にも書いたが青森県の県立施設の整備額が、青森市八戸市で 442対0 という差別的扱いを未だに受けている。
 このせいで、県議会や地方紙の読者コーナーにまじめに「岩手への編入」が話題に上ることがある。
 以前にも書いたが、未だに青森と八戸が自動車専用道路でつながれていない。

こんな感じである。