ベートーヴェン 交響曲第5番(映像)

朝比奈隆 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(2000)
朝比奈さんは、ベートーヴェンの全曲演奏を何回かやっているが、これは最後のベートーヴェンチクルスをBS2で放映したもの。当時全曲を録画したが、実は一度も見ず、去年の引越の際に荷物減らしのためにDVDにすべて落としたのにまだ見ていなかった。朝比奈さんのベートーヴェンはCDでも欲しいのだが、何種類かあるために、どれかを買って、実は他のが良かったなんてことがあるといやなので、結局買ってなかったりする(アナログ時代はもっていたけど)
で、何で今聴くかというと、また話が長いのであるが、第1楽章再現部第2主題のファゴットを久々に聞きたくなったのだ。この部分は、提示部の同じ箇所がホルンであることから、通常ホルンで演奏される。当時のE♭ナチュラルホルンでは演奏不可能(再現部はハ長調になるから)だったので、ベートーヴェンがやむなくファゴットを代用とした、という根拠からだ(現在はホルンはピストンつきなので演奏可)
それに対し、ベートーヴェンが書いたとおりに演奏すべきだという意見も最近は強くなっているようだが、朝比奈さんはけっこう早くから、ここを楽譜どおりファゴットで演奏させていた。
朝比奈さんは晩年になるにしたがって、楽譜どおりに演奏するという信念が強くなっていった。当たり前じゃないかと言う事無かれ、今でもそうだが、慣習上クラシックは当たり前のように、伴奏楽器、メロディ楽器に分けて、メロディが引き立つように伴奏の音量を押さえたり、外声部を大きく、内声部をを小さめにということが、行われてきたし、今でもほとんどの指揮者がそうなのだ。そのほかにも、アクセント等慣習として、楽譜どおりに弾かないところがいっぱいある。
朝比奈さんも、師が確かロシアの指揮者で、かなりロマンティック、ドラマティックにデフォルメされた指揮を教わったようで、若い頃の演奏は、その雰囲気が残っている。しかし、年を経るにしたがって、私心を去り、虚飾を去って、無垢な気持ちで楽譜に向かい合うようになっていたようだ(ここらへんは彼の著書「楽は堂に満ちて」で語られている)そうすると、演奏の真摯さはもちろんだが、内声部を下手に抑えることが無いため、欧米の指揮者とはまた違った新鮮な響きが得られたりするのだ。
さて、演奏のほうであるが、ベートーヴェンの音楽が本来持っている自然なロマンチシズムが、自然に湧きあがってくるような、なかなかの名演。ファゴットの再現部も違和感がなかった。実は二十数年前、生で朝比奈さんの第5は見ているのだが、その時は違和感があったのだ。
さらに付け加えると、朝比奈さんは楽譜どおりなので、第4楽章の提示部は繰り返す。ここを繰り返す指揮者はめったにいないので、多くの人は本来繰り返すことすら知らないかもしれない。繰り返し直前の半小節分は、繰り返し無しだと決して聴けない部分があるので、けっこう新鮮に感じられると思う。興味がある方は、繰り返しありバージョンをお聴きになることをお勧めする。(あー、長かった)
これを機会に他も聴いてみるかな。