黄色い部屋の謎(1908)黒衣婦人の香り(1909)

ガストン・ルルー
ピーター卿シリーズを読むと言っていながら、また横道にそれる。私は1959年生まれであるが、同世代の方なら分かってもらえると思うが、どの同級生の家にも必ずと言っていい程「少年少女世界の名作」みたいな全集があった。「黄色い部屋の謎」は小学生の頃それで読んだ記憶がある。続編である「黒衣婦人の香り」は初めて読む。
推理小説史上でも、現在のネット上でも「黒衣婦人の香り」の評判は芳しくない。ミステリーの古典としての地位を獲得している「黄色い部屋の謎」に比して、ということなのだが、これを「20世紀初頭」の、「大時代的な」「サスペンス色豊かな」「フランスの大衆文学」を読むのだ、という姿勢で読むならば何の問題も無く充分楽しめる。たしかにご都合主義の設定(なにせ、被害者と犯人が年若き探偵の実の母と父なのだ!)ではあるが、それこそ古きよきロマンティック文学である。この小説の不幸なことろは、「黄色い部屋の謎」を読まなければ「黒衣婦人の香り」を読む意味が無いこと。「黄色い部屋の謎」を読む人は推理小説ファン以外は考えにくいこと。そうすると現在においては推理小説を読む目でしか「黒衣婦人の香り」を読む人がいないということである。そうすると「推理小説」としての出来は必ずしも良くないから、どうしても評判は悪くなるわけだ。
しかし、何度も書いているが「推理小説」というジャンルが作家や読者の中で確立してきたのはクイーンあたりからなのであって、ルルーの時代だと作家も読者も「推理的要素を持った大衆小説」ぐらいの認識でしかなかったはず。後の「推理小説の確立」を経た現在の目で見ているから「『黄色い部屋の謎』はミステリーの古典であるが『オペラ座の怪人』はミステリーではない」等という意見になるのであって、ルルーにとっては「黄色い部屋の謎」も「黒衣婦人の香り」も「オペラ座の怪人」も同じジャンルの小説のつもりだったろうし、当時の読者もそうであったに違いない。推理小説にこだわらない人は読んでみてもいいかも(ただし「黄色い部屋の謎」を読んでから)