ブルックナーの初稿

今まで、ブルックナーのファンは、私を含めて、最終稿以前の稿は、漠然と最終稿の未完成品みたいな印象を持っていたような気がする。
ファンであれば初稿は一度は聴いてみたかったしがその手段が長らく無かった。
インバルによる初稿を多く含んだブルックナー全集(1982〜)が出はじめたとき、そういう初稿が聴ける喜びともに、やはり作曲家として徐々に技量を増してきたブルックナー自身が、最終稿としてまとめたものにはかなわないな、という印象をもった。
しかし、ティントナーやヤングによる初稿演奏を聴いてくると、初稿に対する印象が大分変わって来た。
以前にもちらっと書いたが、最終稿へ向けて、当然作曲家としての技量を増してきていると同時に、世間への妥協も混じってきているような気がするのだ。
インバルの頃はまさに初稿による初録音の頃だから、最終稿のイメージに引きずられるのは当たり前だし、インバルの功績を否定するものではない。
が、さらに20年以上経って、さらにブルックナー研究が進み、その地平が拡がってきて「初稿」の意味づけが「本当はこうやりたかった」というふうに変わってきたのかもしれない。ヤングのブル8初稿が待たれる。
しかし、それでなくてもストイックな作風のブルックナーの最終稿より、初稿はさらにストイックという事になる。そんなのにはまりだしたら、それこそ他のロマン派あたりは、聴けなくなってきてしまうな(笑)