小説・江戸歌舞伎秘話

戸板康二
戸板康二の雅楽シリーズ以外の作品である。
江戸歌舞伎の成り立ちのミステリー仕立の裏話(連作)という、変わった趣向。通常の説を覆すといった歴史ミステリーとはまた違い、あくまで作者のイマジネーションの世界である。
しかし、その創作部分も面白ければ、歌舞伎の成り立ちへの繋げ方も絶妙である。
例えば「美しい前髪」という話。
小さな芝居小屋の若い役者に江戸三座の一つ中村座から引き抜きの話が沸き起こる。その役者も師匠も、周りからなんとなく察するものの、直接その話を持ちかけられたわけではないので、互いに面と向かってその話はしない。師匠も離したがらないし、若い役者も師匠の下を離れたくないのだが、直接話をしないものだから、お互いに疑心暗鬼になってくる。
そんな中、忠臣蔵の芝居で、師匠の判官(史実の浅野内匠頭)が切腹する寸前、若い役者の大星力弥(史実の大石主税)があるじの下を去りがたいと言う芝居の時、思わず師匠に対する情感があふれ出て、それを見ていた中村座の人間が感じ入って、引き抜きをあきらめる、という、山本周五郎真っ青のよくできた人情話である。そして、その時若い役者が演じた力弥の所作が、今に伝わる力弥の所作になった・・・・と来ては、おもわず「うまい!」とうなってしまう(何べんも言うが創作であるが)さて、ではどこにミステリーが?というと、実は中村座の引き抜きの働きかけが、ちょっと凝ったミステリー仕立てなのであった。
歌舞伎を知らなくても楽しめるはずだが、ネット上では「これで歌舞伎を知ってたらもっと楽しめたのに悔しい」という意見もある。私はある程度知っているので気にはならなかったのだが。
しかし、現在ネット上でも歌舞伎のあらすじぐらいすぐわかるし、これきっかけで、歌舞伎を知ろうとする人が増えて欲しいとも思う。