先日の地方紙の読者欄に「駅で観光客に「城はどこですか」と聞かれ「二つありますがどちらですか」と答えると「どうして二つあるのですか」と聞かれてちょっと困った」といった内容が投稿されていた。
要は、観光客の質問にも答えられるように、地元の事をもっと勉強しましょう、という話なのだが、ちょっと考えてしまった。
この観光客は「城」を目当てに来たわけである。それも(その後の記述によると)「根城(ねじょう)」という天守閣の無い城である。天守閣は元々戦国後期以降に作られるようになったもので、それ以前は、柵と館があればそれで「城」だった。
そもそも一つの藩に城が一つというのは江戸幕府による「一国一城令」以降のことである。
戦国時代はそれぞれの国の要所要所に城があるのがあたりまえ。
また、江戸時代には「藩主」と「家臣」の関係は絶対主従になったが、戦国時代以降は、他国からの侵略を防ぐための小大名の寄り合い所帯で、その中で(合議的に)代表として「殿様」を選んでいたというのが現実である。なので、城持ち家臣などというのは当たり前(というか、家臣はそれぞれが、その領地を治めていたのだ)
しかし、江戸幕府以降となるとそうはいかない。将軍が「殿」で「藩主」が家臣だから、その末端である「藩主」の殿と「家臣」の関係を絶対にしておかないと、江戸幕府そのものが成り立たなくなるからだ。(その流れに逆らったのが九戸政実
そうして、いくさの心配も無い。城は殿様だけが住む、となって「一国一城令」となる。
よって、廃棄された城はいっぱいある。
次に「根城」であるが、江戸時代まで残りその後廃棄されたものの、本当の価値は「根城」が南北朝時代に作られた城であるということで、現在史跡として発掘されたり復元されたりしているのは、この時代の城だという事が貴重だ、という事からなのである。
なので、同じ八戸市内に八戸藩の城である「八戸城跡」と「根城跡」が並存するわけである。
さて、ここで話は戻る。この観光客はわざわざ「根城」を尋ねてきたわけである。
一般的には「城=天守閣」であるが、そういうイメージをもつ、さほど歴史に詳しくない人が「一国一城」が当たり前と思って「なぜ二つあるのか」と聞くなら、まだわかる。
しかし天守閣の無い城「根城」を尋ねてきた、という事は、ある程度城について知っていて「城=天守閣」のレベルではない人だと勝手に想像する。そんな人が「なぜ二つあるのか」等と聞く事自体がちょっと信じられないわけだ。