ブーディカ女王、タキトゥス、アグリコラ、スエトニウス将軍、そしてアーサー王

古代ローマと言えば、ガリア、ゲルマン、ブリタニア等の辺境との関係が重要であるが、以前、ケルトにはまった時に、ブーディカ女王を知ったのであるが、今回「そう言えば、ブーディカ女王のローマ側の記録ってどうなっていたっけ」と調べてみたら、「ゲルマニア」で有名なタキトゥスの"アグリコラ"等に書かれてあるという。
アグリコラと言う人は、スエトニウス将軍の参謀としてブーディカの反乱(っていっても、ローマが勝手にやってきて圧倒的な軍事力で支配したんだけど)の鎮圧に参加し、後年(皇帝ネロの死による内乱を経て)ブリタニア総督になるが、娘婿のタキトゥスが、アグリコラの伝記を執筆したために、ブーディカが記録に残った、と言う事らしい。
そうなると、以前見た「ウォリアークイーン」(こちら)には、スエトニウス将軍が出てくるが(皇帝ネロに対しブリタニア鎮圧に疑問を投げかけ、鎮圧に対し気が進まない役どころ)ここに、役名がないが、スエトニウス将軍の副官というのが登場する。もしかしてこれがアグリコラだったら・・・等と想像してわくわくしてみたりする(笑)それだけの話。

ちなみに、アグリコラはブリタニア総督時代に、下記のような業績を上げている。

以下ウィキペディアより
アグリコラはこの地をローマ化、すなわちローマ式の建物を建て地位の高い者の子息をローマ式の教育を与える事により行政で高い評価を受ける。

とうことは、アーサー王のモデルはローマ化したケルトなので、アグリコラなかりせば、アーサー王もなかったのかも、と思うと、なんかまたわくわくたりする(笑)時代は400年ぐらい後だけど。