とりとめのないプロレス話をだらだらと

以前にも書いたが、子供の頃は日本プロレスよりも国際プロレスを見ていた。なので、馬場や猪木を本格的に見たのは、全日本プロレス新日本プロレスからである。
当時の国際プロレスはエース不在で、一応グレート草津、サンダー杉山、豊登の複数エースの体裁はとっていたが、いかにも地味、それもあって当時は外人レスラー=悪役という決めごとを破って、ビル・ロビンソンが日本陣営に入ってエース格の人気を誇っていた。
地味は地味だったが、けっこう面白く見ていたと思う。足が短い方が効き目があるはずの「四の字固め」をなぜか足の長いグレート草津が必殺技にしていて、しかも一度掛けたら複数のセコンドがほどいてやらないと外れないという茶番も、本気で見ていたものだ。
サンダー杉山のユーモラス(だが実は高度)な雷電ドロップや、怪力以外能が無い豊登のかっぽんかっぽん(正式名称はなんだ?(笑))も懐かしい。
ストロング小林と豊登の師弟タッグあたりまでは見てた気がするが、ラッシャー木村の金網デスマッチはもう見ていなかった気がする。
アニマル浜口は新日本へ行ってからよく見るようになった。エアープレン・スピンからバック・フリップは小気味良かった。
 
再びプロレスを見始めたのはいつの頃だったろう。やはり初代タイガーマスクの衝撃がきっかけだったかなあ。昔から猪木は嫌いだったからなあ。
当時は「週刊プロレス」とか村松友視の「私、プロレスの味方です」とか、けっこう頭でプロレスを見る時代に入りつつあったのがはまったのかもしれない。
最初は「新日本プロレスの方があきらかに本気でやってそうだから強い」ような気がしたものだが、だんだんに「いや、実は本気でやればジャンボ鶴田は猪木を秒殺できるんじゃないか」とか、いろいろ考えたものだ。
長州力が全日本に殴り込んだ時、わくわくして見たものだが、最初に感じたのは「あれ、長州ってこんなに小さかったっけ」ということ。元々大きい方ではないけれども、新日本のリングで見たときよりずいぶん小さく見えた。もしかして全日本と新日本のリングの大きさが違うのか?と当時思ったものだが、調べてみたらリングの大きさは決まりがないようで、日本では一辺6.0から6.4メートル、海外では一辺5.5メートル前後、やはり全日本と新日本では違っていたと思う。
よく「技とスピードで体格の差をカバーして」とか「プロレスは体格の大きさだけでは強さは決められない」等という意見もあるけれども、なんだかんだいってもプロレスでは体格の違いは実力に密接につながる。案の定、長州も全日本で実質的な成果は上げられずに出戻ってしまう。
それでも、前田日明藤原喜明が出始めた頃は、ガチのプロレス幻想を持っていた。結局、UWFの崩壊で、プロレスに夢を失ってしまって見なくなったんだろうな。
 
プロレスはショーである、というのは事実であるし、例えばある団体のシリーズなら、呼ばれた外人レスラーは誰に勝ってもいいが、誰には最終的に負けなければならない、といった暗黙のルールもある。しかし、筋書きは無い。レスラーがそのセンスで、お互いの出方を見極めながら試合を作ってゆき、どちらが勝つかは決まっていても、そこまでの流れで客を熱狂させるという、実に高度なテクニックが必要なショーなのである。そこを見極めたり、また、両レスラーの思惑の違いもあれば、レスラーと団体の思惑の違いもあって、アクシデント的な展開を見せる場合も見極めたり、と、けっこう奥深い世界だった。今のプロレスは全く見ないのでわからない。
 
1980年代といえば、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、少し遅れてハルク・ホーガンの全盛期だった。本当に世界一強かったのはブルーザー・ブロディだった気がする。
オールドファンには懐かしいフリッツ・フォン・エリックのハンサムな息子たち(いわゆるエリック兄弟)も懐かしい。いっぱい変死しちゃったけど・・・・
アドリアン・アドニス、(カウ・ボーイ)ボブ・オートン・ジュニア、ブロディとタッグを組んでいたジミー・スヌーカ、実は実力者だというのが通にはわかるマスクド・スーパースターやバッドニュース・アレン
(初代)ブラック・タイガー(ローラーボール・マーク・ロコ)もいやらしい強さだった。
ダイナマイト・キッド(については何回か書いている こちらこちら

アニマルとホークのロード・ウォリアーズも衝撃的だったが、プロレス壊滅の前兆だったのだなあ。バンバン・ビガロ、ビッグバン・ベイダーなんてのもいた。
 
アンドレ・ザ・ジャイアントとタッグを組んで司令塔として新日本の第2回MSGタッグ・リーグ戦(1981)の優勝をもぎ取ったベテラン、レネ・グレイも忘れられない。優勝の瞬間アンドレに飛びついて抱きついたシーンがほほえましかった。
ちなみに、レネ・グレイは若い頃、あのカール・ゴッチと世界タッグチャンピオンだったことがあるそうだ(!)当時は知らなかったなあ。
なぜ長々とレネ・グレイの話をするかというと(笑)当時つきあっていた彼女と「〜をしてくれ」と言う時に、ドスを利かせて「〜してぐれい!」「れねぐれい!」と言いあってはゲラゲラ笑っていたからだ(自爆)
 
余談だが、もうひとつ飛びついたシーンで忘れられないのが、ヒールとベビーフェイスなのにタッグを組んだデビル雅美とジャガー横田が、'84フジテレビ杯争奪タッグ・リーグ戦で優勝した時に、やはりジャガーが自分より大きいデビルに飛びついて抱きついたシーンである。ふたりが同時に片手を突き上げたのを喜ばしく見ていたものだ。