「蝶々夫人」と日本、ヨーロッパ、アメリカ

日本人はアメリカもヨーロッパも「欧米」でくくってしまうので気がつきづらいが、プッチーニの「蝶々夫人」は、実はヨーロッパによるアメリカ批判である、という説があって、これには納得できる。
日本人にとっての「蝶々夫人」は「日本対西洋」だけれども、ヨーロッパにしてみれば「東洋対アメリカ」で自分達は蚊帳の外のつもりで、日頃目の上のたんこぶ的なアメリカに対して「なるほど、アメリカはひどい」と溜飲を下げているのだった。
なぜこんなことをわざわざ書くかと言うと、ある著名なテノールがピンカートンを演じる際に、アメリカでの公演では純朴な若者として演じ(純朴がゆえに、蝶々夫人の真剣さに気付かなかったという逃げ道をつくる)ヨーロッパでの公演では、愚鈍で傲慢な男として演ずる、と語ったというネット記事を見つけたからだ。これで、やっぱり〜と思った次第。