ワーグナー「パルジファル」

クナッパーツブッシュ指揮 バイロイト祝祭劇場管弦楽団(1960)
パルジファル:バイラー
アンフォルタス:スチュアート
グルネマンツ:グラインドル
クリンゾール:ナイトリンガー
クンドリー:クレスパン
花の乙女2:ヤノヴィッツ
聖杯の騎士2:アダム

以前聴いておきたいと書いていた(こちら)1960年のクナの「パルジファル」であるが、だいぶ前に注文して、待たされたあげくにキャンセルになった。しかし、そのタイミングで、それまでは無かった廉価のユーズドがあったので、すかさず購入、うまくできているものだ。
オペラ・モードの締めくくりに聴くためにとっておいてあったので、随分寝かせてしまった。
しかし、1961年盤も入手できそうだし、聴き比べが始まる可能性もあるので、オペラ・モードの締めはまだ先かな。
さて、聴き始めるまでは、クレスパンが楽しみとか、1959年盤との違いはどうだろうとか、いろいろ考えたのだけれど、聴き始めてしまうともうそんな事はどうでもよくなって(勿論クレスパンは素晴らしい)ただただ、クナの「パルジファルを聴く愉悦」に浸ってしまう。
前にも書いたかもしれないが、クナの音づくりの変遷は以下のようになると思う。
1950年代の初めまでは、かなり恣意的に大胆なテンポの変化がみられる。
1950年代中盤には、それが自然な音楽の息遣いの境地になってくる。
1950年代終わりから、徐々にテンポを動かさなくなってくる。
1962年あたりには、とうとうインテンポながらも、音楽と一体になっているがゆえに、杓子定規のインテンポとは違う、深化した崇高さと滋味溢れる音づくりになっている。
ある意味一つの到達点で、この年の「パルジファル」がステレオ正規盤で残されているとうのも、やはり意味深いことなのだ。
そして亡くなる年の1964年に向かってまたテンポが動き出すが、それはもう「人間」の境地を超えた「神か悪魔か」の境地で、それが巨大化して「現世」に留まりきれなくなってきている印象を与える。
1959年盤と今回の1960年盤は、自然な息遣いのテンポの動きを残しながら、上記の「音楽と一体の境地」へ至る過程であるといえる。もうすぐ届く1961年盤は、さらに1962年盤に近付いているのだろうか。楽しみである。