北天の魁(ほし)―安倍貞任伝(1985)菊池敬一

北天の魁(ほし)―安倍貞任伝(1985)菊池敬一
岩手日報に1983~1985年まで連載されていた、安倍貞任を中心とした東北各地に残る蝦夷関連の伝説の紹介、こういうのが読みたかった!
ただし、第1章は「陸奥話記」による朝廷や源氏側から見た前九年の役の全体の流れであるが、そこは都度客観的な視点から補正されている。
厨川柵での安倍氏滅亡のおり、敵の辱めを受ける前にと北上川に身を投げた安倍貞任弟、則任の妻が土師氏だった、というのは興味深かった。土師氏は菅原氏の先祖だからだ。
また、貞任の妻が義家に内通したがために安倍氏が滅んだという話は、高橋克彦さんの「炎立つ」でも似たような流れで、その上北上川に身を投げるので、高橋さんが上記2つを合わせて取り込んだのかもしれない。
多くの伝説があるが、最後にひとつ。
厨川落城後、貞任は北へ逃げ、義家がどこまでもそれを追う。
スキー場で有名な八幡平は、八幡太郎義家にちなんでつけられた名である。
各地に残る八幡神社は、追いかけた義家がその都度作ったものである。
貞任は、三戸、島守(安倍八幡神社)八戸(小田八幡宮)小河原(八地頭八幡 倉内八幡)尾駮(おぶちと読む)と下北半島へいたり、横浜(軽石八幡)そして最後は絶景の仏ヶ浦(先日中尾彬夫妻がTVで訪れていたので、ご覧になった方もいるかと思う)で討たれる。
勿論伝説であるが、貞任がわがご近所を通ったかと思うと感慨深い。