某国の「礼儀」

某国の「礼儀」
以前「間違った「儒教の理想」という記事を書いたが
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2013/08/01/114413
その後、井沢元彦さんと呉善花さんの対談本等を読んで、また一つ腑に落ちた事がある。
某国は常々自分の国を「礼儀の国」というが「どこが礼儀の国なんだろう?」と思っていたが、それは違うのだ。
何が違うのか、というと、我々と彼らの「礼儀」の概念が違うのだ。
我々の礼儀は「年長者を敬う」とか「高い地位の人に敬意を払う」という意味合いもあるが、どちらかというと「他人がどんな地位にあろうとも、分け隔てなく敬意を払う」という方が「礼儀」である、と思っている節がある。
しかし某国の「礼儀」は儒教から来ているので、まず「序列」をはっきりさせる事から始まる。そして「自分より上」には徹底的にこびへつらい「自分より下」は徹底的に軽蔑し支配しようとする。それが「徳」であり「正義」なのだ。
だから自分たち以外のアジア人や黒人に対する差別、というのもそういうところから来ているし「礼儀上」は「日本は自分たちより下」だと思っているから「そんな格下に支配されていた」というコンプレックスから、かの異常な対日行動が出てくるし、自分たちの下だから、いくら文句を言ってもいいと思っているし、いくらでも金をとってもいいと思っている。
そして、こちらが正しい事を言うと「格下が逆らった」ということで異常な反応を示すのである。
さらに気を付けなければいけないのは、日本の「謙譲の美徳」は某国には通用しない。「謙譲」は某国にとって「自分たちより下だ、と自ら認めている」としか理解されないのである。
世界の国々にはそれぞれ文化があるのだから、こちらがどうこういう筋合いはないのだが、自分の国の文化は自分の国の中だけにして、他国に迷惑をかけないようにしないと、もうどこの国も相手にしてくれなくなる。
この文章は某国を批判しているのではなく、某国の未来を心配しての事なのだ。