小泉八雲と日本の音楽

小泉八雲と日本の音楽
小泉八雲の作品を読む前に、その生涯をざっと知っておこう、ということで「ラフガディオ・ハーン 異文化体験の果てに」牧野陽子(中公新書)を読んだ。
いろいろと勉強になったが、日本の音楽についての記述が興味深かった。

「当時欧米人の間では(中略)おしなべて評判が悪いのが家屋、食事と音楽だった。(中略)そして惨憺たるものが日本の音楽評で、彼らの耳には、謡(うたい)も三味線も神社の雅楽も、「我慢ならぬほど憤激させ、神経を苛立たせる」(チェンバレン)「悪魔的な不協和音」「苦悶の響き」(イザベラ・バード)にしか聞こえなかった。」

これに対し小泉八雲チェンバレンに対してチェンバレンの本にある日本音楽について記述を書き改めるよう懇願している。

「私は日本の音楽に、言葉に言い表しがたいほど魅せられているのです。・・・・・日本の音楽は極めて繊細微妙な芸術的感じが漂っています。」

どんな国の人でも、それまで馴染みが無かった文化を理解するには時間がかかるものだ。
私事で申し訳ないが、子供の頃テレビで初めて某国の人がしゃべっているのを聴いて、その抑揚が日本語とはあまりにも違うために、最初はびっくりし、それがふざけているのではなく、まじめ、というかその国の言葉としては普通のしゃべり方だ、とわかるまでけっこうかかった事を思い出す。

また邦楽に関しても、我々世代は子供の頃から西洋音楽(もしくはその理論で作成されていた歌謡曲)しか聴いていないから、邦楽の良さがわかるまでけっこうかかったものだ。

なので、当時の小泉八雲の西洋人としての感性は、驚くべきものがあったのだ、と思う。