トスカニーニのシベリウス「ポホヨラの娘」「トゥオネラの白鳥」

シベリウス
「ポホヨラの娘」(1944)
トゥオネラの白鳥」(1940)
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
また、前置きが長いです。
カラヤンのシベ2を聴いて、今までのシベ2に対する価値観をいったん捨てて、虚心坦懐にシベ2をいろいろと聴き直そうと思った。
手始めにトスカニーニを聴こうと思ってトスカニーニBOXのCDを取り出すと、シベ2のカップリングが「ポホヨラの娘」と「トゥオネラの白鳥」(レンミンカイネン組曲)そして「フィンランディア」であった。
シベ2については感想を書いたが

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2012/09/06/045915

他の曲については書いていないし、聴いた記憶もない。たぶん聴いていたと思うが、当時はまだシベリウス初心者だったので、あまり注意して聴いていなかったかもしれない。
ということで、シネ2前の露払い的な軽い気持ちで「ポホヨラの娘」「トゥオネラの白鳥」を聴いてみたところ、随分他の指揮者の演奏と印象が違ったのでびっくりした。
まず「ポホヨラの娘」であるが、非常にわかりやすい演奏である。改めて思うが、トスカニーニという人は「この曲はこういう曲ですよ」という事を第一に聴衆に伝えるという意味で非常に真摯な姿勢を持っていた指揮者だったのではないか、という事。それこそ「虚心坦懐」に曲に向き合っている。当たり前のように聞こえるが、これが本当にできている指揮者が何人いる事だろう。
トゥオネラの白鳥」は、さらに別曲のような印象だった、慌てて家にある「トゥオネラの白鳥」を何種類か聴き比べて判明したのが、この曲の中盤あたりで伴奏がピチカートになる部分がある。他の指揮者はたぶん楽譜どおりなのだろうが、非常に弱く演奏しているためにほとんど気づかない。トスカニーニはここをけっこう強めに演奏しているために「あれ?こんな部分があったかした」と思ったわけである。
しかし、ピチカートの伴奏を強調しているおかげで曲全体にめりはりがついている。今までこの曲は、なんとなく始まってなんとなく終わる印象があったが(シベリウスの意図もそうだったのかもしれないが)これは目から鱗の演奏である。