ジェネシス「眩惑のブロードウェイ」の個人的なとりとめの無い話(と Ma・Ma・Doo!! 次代の想い出)

先日書いた、ジェネシス海賊盤の話は「眩惑のブロードウェイ」の7ヵ月にわたる長期ツアーの音源の話であったが、つらつらと個人的な思い出を話す。
当初私はこのアルバムがどちらかといえば苦手であった。「怪奇骨董音楽箱」で確立した、クラシカル・フレーバーの中世趣味的なシアトリカル・ロックのファンであったがゆえに、「眩惑のブロードウェイ」はたいぶ色合いが違っていたからだ。
それでもいくつかの曲は海賊盤を耳にしてから好きになった。
ジェネシスのベースはあまりコピーしたいと思わなかったのだが、タイトル曲の「眩惑のブロードウェイ」のベースはコピーして、今でもたまに弾いたりしている。
昔、Ma・Ma・Doo!!時代に、ライブでトミー(日高富明)さんのギター弦が切れた時、時間づなぎでなんかやれと事務所の人に言われて、空気を読まず(トミーがボーカルなので、ここはベースソロをやれ、という意味だったらしい)「カーペット・クローラーズ」をベースを弾きながら歌った。その後、その事務所の人の姪がその場所にいたらしく、この歌に感動して収録しているアルバムを教えてくれ、と言われ、教えたらその事務所の人に買ってもらったらしく、当時の2枚組LPは高価だったので、事務所の人にぶつぶつ文句を言われた事を思い出す。
また、自分のバンドで「バック・イン・N.Y.C.」をカバーした話は以前書いた。
そして、初めて聴いてから何十年もたってまたこの「眩惑のブロードウェイ」全曲を聴いてみると、これは当時としてはとんでもない作品であったことがよくわかる。
何よりこれはロック・オペラなのだ。ロック・オペラってけっこうあるのかと思っていたら、ウィキペディアの「ロック・オペラ」に載っている1970年代までのロック・オペラは、第1号としてザ・フーの「トミー」(1969)、そして「四重人格ジェネシスの「眩惑のブロードウェイ」(1974)ピンク・フロイドザ・ウォール」(1979)のみで、プログレのロック・オペラとしては堂々の第1号なのだ。
以前にも書いたが、誤解されがちなのはピーター・ガブリエルが在籍時のジェネシスのリーダーはピーターだったと思われがちだが、当時のジェネシスは完全合議制で、作曲のイニシアチブはむしろキーボードのトニー・バンクスとベース(&ギター)のマイク・ラザフォードが握っていた。(ので後にギターのスティーヴ・ハケットは脱退)
先ほど「「怪奇骨董音楽箱」で確立した、クラシカル・フレーバーの中世趣味的なシアトリカル・ロック」と書いたのだが、名曲「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」やアナログ片面をほぼ使い切った組曲「サパーズ・レディ」を収録した「フォックストロット」を経て「月影の騎士」では「クラシカル・フレーバーの中世趣味」を残しながらも、演奏陣は密かにフュージョン的な方向を模索し始めた。それはタイトル曲「月影の騎士」や「ザ・シネマ・ショウ」の間奏を聴けはあきらかである。
それを嫌ったのか、ピーターは半ば強引に「眩惑のブロードウェイ」プロジェクトを進めたという。
しかし、このアルバムは(各種の海賊盤音源も考慮に入れて)実に音楽的によくできているし、傑作である。なので、今では苦手どころか好きなアルバムになっている(って、話が長いね)
ピーターはその後(自分の意見を押し通したのに)脱退してしまうのだから、なんだかなあ、であるが、残されたメンバーはフュージョン的な方向を封印してバンドを立て直し「眩惑のスーパー・ライヴ」でかなり持ち直し、その後ポップバンドとして大成功したのはご存じの通り。勿論ピーターも「So」以降は大スターの仲間入りをしたから結果的に良かったのだろう。
うーん、いろいろ書きすぎて、結局何が言いたかったのか自分でもよくわからなくなった(爆)