山岸凉子「日出処の天子」の個人的な話

私は昔、日本書紀偽書説に傾倒していた事があった。それも、蘇我氏側が実は当時の大王(おおきみ)で、蘇我入鹿の暗殺は、実は大王側に対するするクーデターであり、それを蘇我氏に置き換える事で正当化を図った、という最右翼の説であった。
なので、山岸凉子の「日出処の天子」は日本書紀に基づいている、と当時は思っていたので、ざっくり読んだ記憶はあるが、けっこう避けていた。
ところが先日、笹生那実の「薔薇はシュラバで生まれる」を読んで、そう言えば山岸凉子もほぼもっているけど、「日出処の天子」もそろそろちゃんと読もうかな、等と思っていたら古本屋で文庫の全巻セットが廉価で出ているのを見つけ、渡りに船と買ってみた。で、解説等でそのルーツが梅原猛と「聖徳太子伝暦」であることを知った。
実は、ちょっと前に学研のブックスエソテリカというムック本シリーズにはまって、いろいろと買っていたのだが、その中に「聖徳太子の本―日出処天子の転生と未来予言」があり、その中に「聖徳太子伝暦」の内容が書かれていたのだ。
つまり、丁度今読むべきだと導かれていた気がする。