ストラヴィンスキー「妖精の口づけ」

ストラヴィンスキー「妖精の口づけ」
ストラヴィンスキー 「ディヴェルティメント」(バレエ音楽「妖精の口づけ」からの組曲)
ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団(1990)
ストラヴィンスキー「妖精の口づけ」全曲
ストラヴィンスキー指揮 コロンビア交響楽団(1965)
「プルチネッラ」と同様に、こんどはチャイコフスキーの旋律を使用して作曲された、アンデルセンの「雪の女王」をモチーフとしたバレエ音楽。
「プルチネッラ」もそうだが、なぜストラヴィンスキーがこういう事をするかというと、作曲依頼者の要望なのだ。
それでも「プルチネッラ」と同様、こちらも実にうまく作ってある。チャイコフスキーのチャーミングさだけを浮き立たせ、俗っぽさはうまくカバーしてある。

ハード・ロックとヘヴィ・メタル

ハード・ロックとヘヴィ・メタル
音楽のジャンル分けはややこしい問題を含んでいる。当のバンド連中が、自分たちはそんなジャンルじゃない、とかジャンル分けを意識しないで、リスナーが勝手に決め付けている場合も多々ある。
それでもあえてハード・ロックとヘヴィ・メタルのジャンル分けについて書いてみたいと思う。
そもそもハード・ロックというのはブルース・ロックの連中が1960年代後半から、ディストーションの利いたギター・サウンドを取り入れだしたところから始まり、それがリズム隊のヘヴィ化をもたらし、リフ中心の曲作りへ移行し、ボーカルも高音域の絶叫調になってきたところで「ハード・ロック」というジャンルが確立した。その代表格がレッド・ツェッペリンである。
一方、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアレッド・ツェッペリンの成功を受けて、それまでサイケディリック・サウンドだったバンドの方向性をハードな方向に転換するよう提案。そうして出来上がったサウンドは、ブルース色よりもサイケディリック・サウンドの影響を残した、クラシック的様式美の強いものとなり、これがハード・ロックの2大潮流の始まりだった。
さて、ヘヴィ・メタルとは、1970年代のもう一つの流れであるプログレッシヴ・ロックのテクニック偏重の反動でパンク・ロックが世を席巻したのち、1970年代のハード・ロックの影響を受けた若いバンドが、ハード・ロックのある要素を特化し、他の要素を切捨てことにより始まる。切り捨てたのがレッド・ツェッペリンにおけるブルースでありディープ・パープルにおける様式美である。だから私はヘヴィ・メタルはハード・ロックが劣化したものだ、というスタンスである。(まあ、ゴシック・メタルとかシンフォニック・メタルとか様式美に特化したメタルはあるだろうし、デーモン閣下も「ハードロックに様式美を足したものがメタルだ」とおっしゃっているので、さまざまな意見はあるだろうが)
何より間違えてないけないのは、ハード・ロックは1969年代後半~1970年代のバンドでありヘヴィ・メタルは1980年代以降のバンドである、とうこと。
なので、いかにハード・ロック(もしくは、そのバンドのある曲)がヘヴィ・メタルに影響を与えていても、1970年代のバンドにヘヴィ・メタル・バンドは存在しないのである。
なので、リッチーが「ヘヴィメタルの王」等と言われると「リッチーを冒涜するなあ!」と大人気(おとなげ)もなく、キレ気味になってしまうのだった(汗)
普段、ジャンルの事をうるさく言う連中には「めんどくさいなあ」等と思っているくせに、自分が一番めんどくさいのであった(大汗)