ブルックナー 交響曲第9番

ブルックナーの第9はシューリヒト指揮ウィーン・フィルを愛聴している。多くの人が名盤としているが、同じくらい「あっさりしすぎ」という意見も多い。冗談ではない。この曲はあっさりしすぎで丁度いいのである。
第8において、作曲スタイルの頂点を極めたブルックナーは、第9において、また一つ別世界へと行ってしまったのである。よくブルックナーは天上の音楽とか、大自然を感じさせるとかいうが、第8までは、有機的であった。しかしこの第9においては、すべてが昇華された無機質の世界、あたかも水晶の様な、真の天上の音楽なのである。すなおにあっさり目で演奏しないと水晶がくもるのである。さらに、第9でわたしが一番好きな部分、第1楽章、楽譜記号E、123小節目からの部分を、いちばんゆったりと、朗々と聞かせてくれるのがシューリヒトなのである。(第7第2楽章からの引用だが)
しかし、マタチッチも捨てがたい。というのは、(彼の得意技だが)我々が普通の演奏では気がつかない声部の動きを際立たせてくれるからである。第9でいうと、第3楽章、楽譜記号C45小節目のヴァイオリンフレーズの奥のヴィオラのフレーズである。確かにヴァイオリンはメゾフォルテだし、ヴィオラはピアノなので、他の指揮者の演奏では、よっぽど耳を澄ませないと、聞き落としてしまう部分だが、彼は楽譜の強弱記号に頓着せず、かなり大きめで弾かせる。それがなんと新鮮に響くことか。彼はベートーヴェンエロイカでも、第1楽章終結部で低弦部を異常に大きく弾かせていたが、これも心地よい驚きだった(今、手元になし)たとえば、朝比奈隆も、普通の指揮者が抑えて弾かせる中音域を、他の音域と同じように弾かせるが、それが成功する場合もあるし、逆に音楽の焦点がぼやけて失敗している場合もある。マタチッチは、彼のセンスで独断で選んだ部分を強調しているで、他の指揮者がまねしても、成功するとは思えない。
同じような意味で、ブルックナー交響曲初版録音を成し遂げた、インバルの第9も、木管等で、気がつかなかったフレーズを堪能させてくれた。でも、やっぱりシューリヒトだなあ。
そうそう、第9は未完成で、アダージョで終わっている。インバルは遺稿を元に編曲した最終楽章の録音も行っているので、それを耳にすることが出来るが、はっきり言って、未完成でよかった。資料的にたいへん貴重だし、けして悪くは無いのだろうが、この最終楽章が完成していたら、最初に書いたせっかくの天上の世界が崩れる。そう思えるのである。