名前

ゲド戦記には「真の名原理」というのがある。人やものの「真の名」を知れば、その人やものを従わせることができるというもので、ファンタジー系の物語にはよく出てくるのであるが、これって古くは古代エジプトあたりからあり、日本では言霊信仰があった。昔の日本人はめったに本名を呼び合うことは無かった。本名は「諱(いみな)」といい、親や主君やかなり目上の人だけが、それを使って呼ぶことができた。仲間や目下の人は「通り名」で呼んだ。例えば「源九郎義経」といえば本名が「義経」通り名が「九郎」なわけだ。明治になってこういう風習は廃止されたはずだが、日本人のDNAには深く染み付いているようでやはり、本名で呼び合うことは少なく、苗字やあだ名が「通り名」の代わりになっている。ちなみに中国では「通り名」を「字(あざな)」といい、同じように使う。「劉備玄徳」といえば姓が「劉」名が「備」字が「玄徳」なわけで、目下の人が「劉備様」などといっている小説やマンガがあったら、それはちょっと情けない。
で、何で長々と書いてきたかというと、西洋にもそういう思想はあったはずなのに、いつの頃からか名前を堂々と出すようになったのか、ということだ。例えば王や皇帝は名前で呼ばれる。ジョン王も皇帝ナポレオンも姓ではなく名前だ。そんなもんだから、例えば西洋では昭和天皇のことを「エンペラー・ヒロヒト」などという。彼らは別に失礼なことをしている意識は無いのだが、日本人が聞くとどうも落ち着かない。いつから西洋は堂々と名前を出すようになったのか、そのきっかけは何なのか、それともエジプトだけであって、他の西洋は言霊は無かったのか(でも無いなら、あれだけファンタジーで使わないと思うんだが・・・・)誰かそっち方面詳しい方はいないかな。