ゲド戦記:さいはての島へ(1972)

(Earthsea Cycle:The Farthest Shore)
アーシュラ・K・ル=グウィン
本来ならば、この3作目で「ゲド戦記」完結であった。次作が18年後であるから、これ以降は登場人物が同じでも別作品としての見方をするのが正解だろう。
淡々と語られる事件の記述の背後に隠された意味がありそうで、でもそれが何かつかみきれないもどかしさがあったが、後半、何気なくその意味が語られているのでは?といった部分もあって、ちょっとほっとする。
しかし、今回世界を巻き込むこの騒動(?)の遠因って、ゲドの昔の行動だったのじゃないか?結局ゲドの内的世界に帰結するのか?罪も無い人もいっぱい死んでるぞ。
ここで、はたと気がついたのが「すべてはあるべくしてある」ということ。ならばゲドの昔の行動もゲドひとりがやろうとしてできることではなく、宇宙全体の流れとしてあったとするならば、納得できる。そう気がついたら、現実世界の自分にもあてはめて、ちょっと肩の荷がおりた気がする。この作品、欧米のファンタジーでありながら、なんか東洋思想っぽいかもしれない。そこが他のファンタジーと一線を画しているのだろう。
あと、感銘をうけた部分のひとつが、アレンがゲドと同じように世界を見るとことができた時、すべてが生命の輝きに満ちていることを知ったところ。あ、ここも東洋思想か。