続フェレンツ・フリッチャイ

そのフリッチャイの「エロイカ」(英雄)だが、1点だけ気になる点がある。
第1楽章の展開部で、第1バイオリンが下降音階的フレーズを2小節、ぐんと音程が上がって同音のシンコペーションで2小節、第2バイオリンは第1バイオリンのシンコペの部分で下降音階のフレーズの模倣を行い、同様にシンコペが続く。つまりは、第1バイオリンと第2バイオリンの掛け合いをやっている。
古典派の交響曲にはよくある作曲技法で、当時のオーケストラは第1バイオリンと第2バイオリンは左右両端に配置されていたので、こういう技法が効果的だった。近代オーケストラになり、第1バイオリンと第2バイオリンが左にまとまってしまうと、こういう効果は望めないので自然とそういう技法は使われなくなった。(だから古典派の曲は昔ながらのオーケストラ配置でやるべきなのだが)
で、先ほどのフレーズを近代オーケストラでやると、通常は第1バイオリンのシンコペのところで、第2バイオリンの模倣がうしろに引っ込んでしまい、あまり掛け合いの効果は無い。
ここで、フリッチャイはシンコペの音量をかなり抑えている。よって、共に左から聞こえるがとりあえす、第2バイオリンの模倣が前面に出て、掛け合いの感じはでている。
ところが、このシンコペの部分と言うのは、切なさをかもし出す非常に重要なフレーズで、ここが抑えられるとちょっと曲としての造形を壊しかねない。
フリッチャイも悩んだのだろう。掛け合いをとるか、フレーズをとるか。そして、あえて他の指揮者が取らない掛け合いの方を生かしたのだと思う。気持ちはわかる。わかるが、やはりこの部分は私はさみしい。
PS.大昔、有名曲のスコアは手元にあった。今は我慢してブルックナーとフィガロ(ピアノ伴奏)だけ。でも、やはりこういう事を書くためには正確に行かなければならないので、また少し購入しようと思う。