民俗音楽系のミュージシャン

アラン・スティーヴェル、カーラ・ディロン、ケルティック・ウーマン、またノー・スモーキング・オーケストラやアレア等、民俗音楽系のミュージシャンは自分たちのルーツである音楽性に誇りをもち、かつ自然にのびやかに演奏しているような気がする。
翻って、日本はどうなのだろうかと考えてしまう。私も若い頃はそうだったが、クラシックでもロックでも西洋音楽に触れている者、志す者は、日本的なものは何か恥ずべきもの、排除すべきものという意識が無かっただろうか。日本人が日本的なものに誇りを持って、のびやかに歌ったり演奏したりする音楽は無いのだろうか(それが「演歌」だとは思いたくない)
以前書いたが、民俗音楽や邦楽を勉強して袋小路にはまった事がある。しかし、また再度勉強したいと思い始めている。これはある種危険な事で、今までさんざん勉強した西洋音楽的概念を捨てねばならないはめになる(和声の概念、導音の有無、メロディより音色重視など)しかし、以前とは心境も違っていることだし、違った結果になるかもしれない。
昨日のピアノの調律の話もそうだが、なんか30年前やった事を、もう一度やり直そうとしているのかもしれない。さて、今回の行き先には何が待っているのだろうか・