パリオペラ座歌舞伎公演

テレビでやらないのかも?とやきもきしたが放送されて一安心。親父さんには悪いが「勧進帳」は正直海老蔵の弁慶で見たかった。(パリ公演中は、逆の配役でやった時もあったらしいので)花道は客席の中を通ることが出来ずに、わざわざ右まで移動して、左に向かって横向きで六方を踏む形は、客席に背中を見せる時間が多くなり疑問、なんとかならなかったか?しかし、記念すべき公演である。
思えば歌舞伎に興味をもったのは20歳ぐらいの時に日本文学全集(「古典〜」だったかな)で「三人吉三廊初買」を読んだのがきっかけだった。ご存知の方も多いと思うが、江戸時代は歌舞伎は朝から夕方まで一日をとおして上演されていた(通し狂言という)。また、著作権の意識も無いので、先人が作った話を後人がまたいろいろと工夫を加えて、徐々に練り上げていった。また、演じたその「家」の口伝で台本が伝えられていった。なので、読んだものも、その時点のどこかの「家」の口伝が元になっていたと思う。
現在では、一日の通し狂言というのはめったに行われず、演目の中でもっともポピュラーな「段」を抽出して演じられることが多い。「三人吉三」も現在我々が目にするのは、一番有名な「月もおぼろに白魚の」のセリフがある大川端の段ぐらいである。しかし、この時読んだ台本は通し狂言で、3人の主人公の物語がパラレルに進み、最終段でみごとに統合されてクライマックスを構築する。当時歌舞伎に詳しくなかった私は、その緻密な構成力に本当にびっくりしたものだ。「歌舞伎侮るべからず」というわけで、いろいろ本を読んだり、TVで見るようになったのであった。