朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(1981)
懐かしい音源が廉価で復刻していたので思わず購入。この曲は昔から違和感があった。普通に考えればショスタコーヴィチ版「運命」といった趣で、「苦悩を突き抜けて歓喜へ」という曲なのだが、その歓喜であるはずの最終楽章が、ヒステリックなヴァイオリンの1音が延々と繰り返される。勇壮なフレーズを金管の不協和音が微妙に邪魔をする。なんなんだろうこれは?といつも思っていた。ところが当時「ショスタコーヴィチの証言」という本が出版され(現在は偽書説もある)そこに「あれは強制された歓喜なのだ。それは鞭打たれ「さあ、喜べ喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして鞭打たれた者は立ち上がり、「さあ、喜ぶぞ喜ぶぞ、それが俺たちの仕事だ」という」と書かれてあるのを見て、なるほどなと納得したことを思い出す。実は旧ソ連共産党当局から西洋資本主義的に堕落したと糾弾された彼が、名誉回復のため共産主義礼賛ともいえるこの曲を書き、共産党当局は大喜び、しかし、彼の真意を見抜けなかったというわけなのだ。当時の解説がそのまま使われているが、そこに「第4楽章はアレグロ・ノン・トロッポの指定であるが、わずか8小節めにはもうアッチェレランドの指示があり、11小節から新しいテンポに入って、そのまま進む。僕はいまだにショスタコーヴィチが何を意図しているのか分からないのであるが、指定通りだとどうしても不自然になってしまう」とある。つまりは、ショスタコーヴィチはわざと不自然に聴こえるようにしたのである。そして、この朝比奈さんの演奏は真摯であるがゆえに、(朝比奈さんが意識したとは思えないが)この強制された歓喜を実に見事に表現していると思うのだ。