娘のピアノ

以前に書いたかもしれないが、20才ぐらいの時、どうしてもバッハが弾きたくなって、正規の音楽教育を一切受けていなかったにもかかわらず、独学でピアノを練習した。今から考えると、バンド生活に役立つとも思えないし、まさかそこからクラシックのピアニストになれるわけでもないし、いったいなぜそんなことを一生懸命したのだろうと思う。しかし、その時は意味がわからずとも、自分の中から湧き出でてくる意欲を信じていた。
現在娘が、親に強制されるわけでもなく、熱心にピアノを練習している。見込みがあるのかは知らないが、ピアノ教室の先生がどんどん新しい曲を与えるらしい。私が持っていたピアノの楽譜なども、弾けないまでも意欲的につま弾こうとしている。習っていないモーツァルトソナタ15番やトルコ行進曲も。トムのジェリーのハンガリー狂詩曲もためしに楽譜を買って見たら、さすがに弾けないが、「ここまでは出来る」と自慢げに語っている(笑)
私も懐かしくなって、また練習を始めたのだが、奥さんに言わせると、かなり私を意識しているようで、それもあってさらに熱心に弾いているようだ。
つまりは、この日のために20才の頃の自分のピアノに対する意欲があったのか?その時、すでに今の状況を、無意識の自分が予見していたのかもしれない。人生無駄な事は無いものだ。
また、聞くところによると母親がピアノを弾けたりすると(すべてがそうとは限らないが)子供に厳しくなるという。うちは奥さんが弾けないし、私は聞かれたことは答えるが、一切強制的な指導はしていない。そこらへんがまたいいのかもしれない。