PLUTO(プルートウ)第6巻

浦沢直樹×手塚治虫
直接この作品の内容の話ではない。
解説で山田五郎が自分が1958年、浦沢が1960年生まれであることを踏まえ、「〜科学とヒーローと革命とロックを、最も無邪気に信じた世代といえる」と書いているが、1959年生まれの私にはどんぴしゃの言葉である。
私がロックを知ったころは、ロックは「不良の音楽」だった(笑)もちろん当時の大人世代にとって。欧米では「不良の音楽」から「ラブ&ピース」の象徴、そして「産業ロック」へと推移していくが、日本では「不良の音楽」「マイナー・ジャンル」から即「産業ロック」になってしまった。「ラブ&ピース」はフォークソングの短い一時期で、すぐさま「ニュー・ミュージック」という「産業ロック」ならぬ「産業ミュージック」へ推移していった。我々には、音楽の純粋性、人間の純粋性を訴えるロック時代が与えられなかったといえるかもしれない。
さらに山田五郎は、「科学が公害、ヒーローは有名人、ロックがビジネス、革命がテロへと堕していく現実」と述べた後こう書いている。
「そんな私たちが中年にさしかかり、このままでいいのかと悩みはじめたときに、「自分たちが信じた未来を取り戻そう」と訴えたのが、浦沢の「20世紀少年」だ」
「20世紀少年」はなぜか読んだことが無いが、そういう作品なら読んでみようかな。
そう、私はこの年になっても、未だに、ロックにおいて音楽(芸術)の純粋性、人間の純粋性を訴える事をあきらめていないのである。それが、未だに毎日ベースを練習し、クラシックをはじめとする未聴の音楽を聴いて吸収し続けている理由なのだと、今気づいた。