先日、ある方がブルックナーの交響曲第5番の改訂版について書かれているのを読んだ。
「ブルックナーの交響曲第5番の改訂版のコンセプトは「後期ロマン派的」である。
ロマン派とは”文学趣味”である。
物語には単純な繰り返しはありえない。
物語の変化は滑らかに行われる。」
充分に納得できる目から鱗の意見だ。
ブルックナーは、拡大したとはいえソナタ形式を大事にしている。
ソナタ形式とは、煎じ詰めれば「聞き覚えのあるメロディを聴いた時のカタルシスが目的」と言える。
提示部で印象的なメロディをかなで、それを展開部で変奏し、再現部でそのメロディが戻ってくる。展開部は概ね属調なので、主調に戻るというカタルシスもある。
ロマン派は、それを否定しながら発展してきたといえる。実は私がロマン派をあまり好きでない理由がそこにある。マーラーなど、再現部も何もないのだ(そこがマーラー・ファンにはいいのだろうが)
(いや、あるのもあります)
そこでブル5に戻ると、シャルク改訂版は、単純な繰り返しを極力避けるため、オーケストレーションの変更を行い、あげくはフィナーレの再現部カットまで行ったというのだ。
これもまた、納得できる目から鱗の意見である。(あくまで、改訂の理由付けとして)
また、ブルックナーはブルックナー休止に代表されるように、曲中に突然音楽世界が変わるのを特徴としている。
よって、改訂版では、そこら辺も、なるべく突然変わらないように編曲される。
ここまでわかると、クナのブル5もまた興味深く聴けるな。
シャルクは尊敬する先生ブルックナーが、その時代に受け入れられるようにとがんばったんだろうな。