若者の車離れ

若者の車離れが深刻だそうである。
私なぞも車に特に思い入れがないから、先取りだったのか(笑)
(勿論運転は好きだし、便利だとは思うが、東京に住んでいたら不要と思うかもしれない)
まあ、冗談はさておき、人間の発想とうものは、硬化してゆくものだとつくづく思う。
大分前だが、某有名キャスターが(この人も実は頭がわるいのだけれど)あるスペシャル番組で
「我々の若いころは、高い車を買ってそれに乗るのが夢であり、憧れだった」と、今の若者の気持ちがわからない旨述べていた。
どんな人間も、自分の価値観が絶対だ、という落とし穴に落ちてしまうのだ。
最近読んだ記事にも、ある若い女性が「ボーイフレンドが車で迎えに来たら恥ずかしいと思うし、デートでドライブすることがカッコいいとは思わない」と言うのを聴いて、車関係者が驚愕したという。
極端な話をしよう。
明治維新になり、ちょんまげが禁止になった。そんな中、あくまでもちょんまげにこだわった古い人もいた。
「我々の若いころはかっこいいちょんまげを結うのがあこがれだった」
「ボーイフレンドがちょんまげを結ったら恥ずかしい」
勿論、これは暴論ではあるが、わかりやすい図式化にはなっていると思う。
しかし、よく考えてみたら、その昔に新しいものとして車に取り組んでいたようなクリエイティブな人間が現代に生きていたら、とっくに車などに見切りをつけて、ほかのものに眼をむけているであろう。つまりは、先達の遺産に胡坐をかいて、楽をしてきたノン・クリエイティブな人間が、現状にあせっているだけなのだ。