シュトラウス「ばらの騎士」(1994)

クライバー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
以前「CDがわりに」という暴言を吐いたことのある(こちらクライバーの「ばらの騎士」の1994年の映像を久々に見た(少しずつだったが)
今回、あらためて思ったのが、男爵のクルト・モルの音程の正確さだった。
シュトラウスは指揮もしていたのだが、以前こんな逸話を読んだ記憶がある。
シュトラウスの新曲のリハーサルで、団員が「マエストロ、難しくてとても楽譜どおりには弾けません」と訴えると、シュトラウスは「そんな感じに聴こえればいいんだ」と言いはなったという。
クルト・モル以外のバスが下手なわけではけっしてない。
彼のメロディーは跳躍も多いし、速いパッセージも多い。特に人声は跳躍が多いと音程をとるのは至難の業である。
なので、すべての歌手がきっちりと楽譜どおりに歌っているわけではないが、それはシュトラウスもわかった上で書いていただろうし、なんら責めれある筋合いは無い。
それを、見事に楽譜どおりに歌われると、いまさらながら、ああ、こういうメロディだったのだな、とわかるし、クルト・モルの実力のすごさもわかったのだった。
余談だが、ラストのオクタヴィアンとゾフィーの愛の二重唱の合間に、ゾフィーの父と元帥夫人が顔を見せ
「若い人たちとは、こういうものですかな」
と語りかけるゾフィーの父に、元帥夫人が
「Ja,Ja」
と相槌を打つ場面がある。
ゾフィーの父は元帥夫人とオクタヴィアンの元の仲を知らないので、元帥夫人は何食わぬ顔で「Ja,Ja」と言わなければならない。しかし、そこには隠し切れない万感の思いがある。
この部分は元帥夫人を演じる歌手の数だけやり方があるのだが、個人的には切なさがあふれ出てしまった、クライバー1979年盤のグィネス・ジョーンズがぐっと来る。
前回も書いたが、1994年盤はオケの完成度と美しさは1979年盤より上であるが、個人的にはやはり1979年盤をとる。