ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」

クナッパーツブッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団(1950)
今までの文章の繰り返しになるかもしれないが、数種の「トリスタン」を聴いて、やはり最後はクナで締めなければならない。なぜなら聴いていて安心する「トリスタン」はクナのみであるからだ。ティーレマンがクナに近いと書いたけれども、それでもやはり次元が違う。
一般に勧めるとか、万人受けするとか、そういう問題は横に置けば、クナッパーツブッシュの「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」と「愛の死」は、全曲盤も、それ以外の数種の録音も、すべて他の指揮者とは次元の違う演奏だと断言する。
この全曲盤の「前奏曲」は、そぞろ歩きのようなテンポのゆれやアゴーギクが、まったく作為を感じさせない、下手をすると気が付かないのだ。しかもオケが若干乱れるところから、なんと!クナはこれを即興で行っているのだ!!
本編に入ってもそれはかわらない。他の指揮者は、インテンポならインテンポが、テンポがゆれるならそのゆれが、楽器のバランスに工夫があればその工夫が、作為に感じられて興ざめするため、極端な話「早く終わらないかなあ」などと思ってしまうのだが、クナの場合いつまでも音楽が続いていて欲しい、と思わせる。
「トリスタン」の各演奏を評価して「やはりフルトヴェングラーが一番」とか「いや、私はC・クライバーをとる」とか、いろいろな意見があるだろうが、もしクナ盤を聴いた事がない人がいたら、とりあえずだまされたと思って聴いてみて欲しい。それでも、その人のベスト盤は変わらないかもしれない。しかし、ベスト盤を決める選択肢の中にクナ盤は絶対に入れるべきである。なぜなら、こんな演奏をする人はどこにもいないからだ。その上で他の盤をベストに推しても、こっちは何の文句もない。



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