アーサー王妃物語(1996 翻訳:2000)

ローレル・フェラン
「アヴァロンの霧」を読んでいたのにネット・サーフィンで見つけて、お安い中古本を入手。
アーサー王妃グィネヴィアと言う人は、中世フランス宮廷の貴婦人方の要求により、アーサー王物語に、彼女達が好むかたちのロマンスを導入するために創作された「ランスロット」とからんだために、現代人の目からはけっこう否定的に見られる性格づけがされるようになってしまい個人的には気の毒である。
その一方、彼女は大地の象徴である巨人の娘であり、彼女(国土)との結婚が国家の統治を意味する、まさに地母神的存在としてとらえる古い伝承もある。
また、映画の「キング・アーサー」ではマーリンの娘、かつ女戦士という設定。
個人的には、こういう蛮族的ケルト感丸出しの彼女の方がしっくりくる。
そして、この作品でもグィネヴィアはある王の娘、かつケルトの女戦士である。
もしかして、「キング・アーサー」はこの本の設定を借りたのか?
キリスト教ドルイド教、男性原理対女性原理は、ある時期以降のアーサー王ものの定番(?)
問題は、過去世退行セラピストでもある著者が過去世退行セラピーにより、自分の過去世であるグウィネファー(グィネヴィア)の人生を探る話である事。これによりネット上ではトンデモ本扱い等、評判はあまりよろしくない。
だいたい、初めからインチキと拒否するか、そこらへんはさておいて、小説として読んでみて、いかがなものか、と言った意見が多いが、どうも視点がづれているような気がする。
よく読むと、大変スピリチュアルな内容なのだが、こちらのブログでは、そこら辺をあまり立ち入らないことにする。(続きは別ブログで)
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思えば、歴史の再勉強を始めて「アーサー王」は避けていたのに、結局またとりつかれ、買ってあったのに読んでいなかった「落日の剣」「アヴァロンの霧」を読みかけては中断したのも、結局この本を読むためだったのかもしれない。そうでなければ、一生縁が無い本かもしれなかった。