アーシュラ・K・ル・グウィン「セグリの事情」(1994)

先日、アーシュラ・K・ル・グウィンの短編集「世界の誕生日」を全部読んでから感想を書こうと思ったが1作目がすごかったので感想を書いた、と書いたのだが、2作目もすごかったのでまた書く(この調子だと全作について書かねばならんのか)
この作品も「ハイニッシュ・ユニバース」もので、舞台の惑星は男子の出生率、生存率が異常に低く、そのため男性は少年期を終えると男性のみの世界で、女性からは表面上あがめられてはいるがスポーツ(セックスアピールの為)とセックス(子孫存続の為)のみが許されている(つまり学習も許されていない)といういびつな社会構造を持っている。つまり頭脳労働、肉体労働はすべて女性が担って社会をささえているのだ。なのであがめられてはいるが男性に対する一種の虐待である。
で、読み進めるうちにぞっとしたのが、実はこの社会構造は人類が長年女性に押し付けてきた社会構造の裏返しになっているという事なのだ。勿論ル・グウィンはそれを意識して書いているはずである。
それをわかってから読んだとしても、いったいどれだけの男性がああ女性にすまなかったな、と思うかというとこれは心もとない気がする。こんな時代になってもまだまだ男性の意識は(私を含めて)旧態然なのではないだろうか。
短編ではあるが読後感は長編並みの重量感であった。