リンダ・ハーディスティーの話

なんか、久しぶりにウルトラセブンのアンヌ隊員(ひし美ゆり子)をググってみたら、リンダ・ハーディスティーという女性の名前が目に入ってきた。
キングジョーが登場する「ウルトラ警備隊西へ」にゲスト出演したアメリカからの留学生なのだが、ひし美ゆり子さんがその消息を探っていたが、39歳の若さですでに亡くなられていたとのこと。
記憶になかったのだが、日本人好みのかわいらしい顔立ちの人だ。
なんかしんみりしてしまう。

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クレルヴォ三昧のまとめと個人的なシベリウス事情

今回のクレルヴォ三昧に入る前は、ベルグルンド盤(1970)サロネン盤(1992)デイヴィス盤(1996)ヴァンスカ旧盤(2000)を繰り返し聴き、この曲の魅力を徐々に理解しながらも「なんか違うんだよなあ」という思いが頭から離れなかった。
入手可能なクレルヴォ交響曲をなるべく入手しよう、というのもそこから始まったのだが、ヨルマ・パヌラの「自然体」に出会い、いろんな点で納得がいった。
何回も書いているが、シベリウスに興味をもったのがティントナーによる交響曲第7番であり、この人も究極の「自然体」なのだが、その後さまざまな指揮者のシベリウスに触れ、なんだかんだ言いながらも上記の「なんか違うんだよなあ」という思いは、無意識のうちに感じていたのだろう。「交響曲第何番はこう演奏してほしい」等の記事をよく書いて「理想の演奏に巡り合えない」みたいな事を書いたのは、その表れだと思う。
ラハティ響時代のヴァンスカは、精緻、清澄、透徹性に徹したシベリウス演奏で、シベリウス解釈に新しい道を開いたと絶賛されていたが(勿論それも素晴らしいのだが)やはりそこには作為性がある。前にも書いたが、心のどこかで「自然体」のシベリウスを求めていた私は、それにもっとも近いと感じたヴァンスカを支持してきた。しかし、ヨルマ・パヌラやサラステに出会い「これぞ求めるシベリウス!」と自分のシベリウスの理想が存在したことを知り、さらにミネソタ響時代のヴァンスカが、クレルヴォにおいて彼なりの「自然体」の境地に達したことを知った。これが今回のクレルヴォ三昧の大いなる収穫であった。
ヨルマ・パヌラは他のシベリウスが無い(第5があるらしいが、現在入手不可)サラステ交響曲管弦楽もあるので、いずれ揃えていきたい。もしかしたら、ここで私の理想がかなうかもしれない。また、ヴァンスカも今後どんなシベリウスを残してくれるのか楽しみだ。
ちなみに、ミネソタ響とのシベリウス交響曲全集が間が空いてしまった理由が、ミネソタ響側の事情でヴァンスカが音楽監督を辞めていた時期があったそうだ。
さらにちなみに、入手可能なクレルヴォを全部入手したつもりだったが、まだ何種類か残っていた(汗)すぐには無理だが徐々に入手していきたい。

ヤルヴィ親子のシベリウス クレルヴォ交響曲

シベリウス クレルヴォ交響曲
ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団(1985)
ラウルン・イスタヴァト男声合唱
カリタ・マッティラ(S)
ヨルマ・ヒュンニネン(Br)

父ヤルヴィの指揮するシベリウスは流麗、かつ緩徐楽章をたっぷりとしたテンポで演奏する、という印象があった。しかしそれは、私が聴いた父ヤルヴィのシベリウスが2000年前後の録音だったせいで、この1985年の演奏は随分と違う。
まずテンポが全体に今まで聴いたクレルヴォの中でも最も速い。さらに激烈かつゴツゴツとした演奏で、若き日の父ヤルヴィはこんな情熱的な音作りをしていたのか、とびっくり。
速いテンポはせわしない印象をあたえ、ゴツゴツとした音作りは音楽の流れが悪くなっている。しかし、面白い事は面白い。こういうクレルヴォのありであろう。
ちなみにカリタ・マッティラの名前をどこかで目にした記憶があったが、フィンランド出身の世界的オペラ歌手であった。

シベリウス クレルヴォ交響曲
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団(1997)
エストニア国立男声合唱
ランディ・シュテーネ(Ms)
ペーター・マッティ(Br)
子ヤルヴィの演奏は、抒情的ながらそれに流されることのない良質なもの。時折木管の裏メロが強調されるのも新鮮だ。だが第1楽章の主題を1音1音区切るように弾かせるのは疑問が残る。
それでも、今回のクレルヴォ三昧で、ヨルマ・パヌラ、サラステ、ヴァンスカの新盤が無かったら、この演奏をトップに挙げたかもしれない。

ヴァンスカの シベリウス クレルヴォ交響曲 新盤 その他

シベリウス クレルヴォ交響曲
ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団(2016)
ヘルシンキ大学男声合唱
リッリ・パーシキヴィ(Ms)
トンミ・ハカラ(Br)

ヴァンスカのクレルヴォ交響曲の新盤は、シベリウス交響曲全集の新盤と同様ライブ録音である。
ヴァンスカのシベリウス交響曲全集の新盤について、抒情性とストイックさが同居している、と書き、後にはドラマティックさが増した分透明感が失われた、と書いた。
そして、その全集の後のこのクレルヴォでは、そのすべてが昇華し、ヴァンスカの「大いなる自然体」が完成したと言える。ドラマティックではあるが、どこにも無理が無い。
旧盤同様第2楽章の遅いテンポは好みが分かれると思うが、それを差し引いても大変な名演である。師のヨルマ・パヌラの境地を超えたかもしれない。


オッリ・コルテカンガス「移住者たち」
ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団(2016)
ヘルシンキ大学男声合唱
リッリ・パーシキヴィ(Ms)
ヴァンスカのクレルヴォ交響曲の新盤が、お高いな、と思っていたら、CD2枚組で、2枚目にはこの曲と「フィンランディア」の合唱版が収録されている。
この曲はヴァンスカとミネソタ管弦楽団がコルテカンガス(1955年生まれ)委嘱して作曲された2014年の作品との事。フィンランドからミネソタ州に移住した詩人シーラ・パッカの詩に基づくメゾ・ソプラノと合唱付きの管弦楽曲である。
ミネソタ州は北欧系の移民が多かったそうだ。ヴァンスカがなんでアメリカのオケの音楽監督なんだろう、と思っていたが、そういう経緯があったのだ。
曲は現代音楽であるが、大変聴きやすく仕上がっている。

シベリウス 「フィンランディア」合唱版
ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団(2016)
ヘルシンキ大学男声合唱

フィンランディア」に合唱版があることは知っていて、いつか聴いてみたいと思っていたので、今回聴けて良かった。
上記クレルヴォ同様、大変ドラマティックな演奏なのだが、通俗的なこの曲をドラマティックに演奏すると、通常はその通俗性が増すのだが、不思議なことにまったく通俗性を感じない驚異の演奏である。これがヴァンスカのたどり着いた境地なのだ。演奏後の観衆の熱狂の凄さもやんぬるかな。
いつ合唱がでてくるか、と思ったらいつまでも合唱が出てこない、全体の3分の2あたり、構成上でいうと2つの序奏のあとのA(アレグロ)B、AのB以降が合唱付きであった。
なんか、これを聴いてしまうと、これからはすべてのフィンランディアはこの合唱版でいいんじゃないか、と思えるくらい魅力的である。

 

ロバート・スパーノのシベリウス クレルヴォ交響曲

シベリウス クレルヴォ交響曲
ロバート・スパーノ指揮 アトランタ交響楽団 合唱団(2006)
シャルロッテ・ヘレカント(Ms)
ネイサン・ガン(Br)
クレルヴォ三昧シリーズである。
ロバート・スパーノはアメリカの指揮者だが、シベリウスもレパートリーとしている指揮者のようだ。他の交響曲の録音もある。先日のラシライネンの2歳下になる。
さて、演奏であるが、第2楽章までは、細かい工夫がある分音楽の流れは悪いし、その工夫も個人的にはあまり効果的とは思えない、という印象だった。
しかし第3楽章以降は、ヴォリュームコントロールに耳障りな部分もあるが、速いテンポの激しめな演奏で押し切って、最後の印象はそんなに悪くなかった。

 

アリ・ラシライネンのシベリウス クレルヴォ交響曲

シベリウス クレルヴォ交響曲
アリ・ラシライネン指揮 ラインラント=プファルツ国立フィルハーモニー管弦楽団(2005)
KYL男声合唱
サトゥ・ヴィハヴァイネン(Ms)
ユハ・ウーシタロ(Br)
クレルヴォ三昧シリーズである。ヤルヴィ親子とヴァンスカ新盤は一番最後に回すことにした。
アリ・ラシライネンもフィンランドの指揮者でヨルマ・パヌラの教え子。ヴァンスカ達の6歳下になる。
若干激しめで、フレーズの終りにタメを作る箇所もあるが、これもヨルマ・パヌラの自然体に近い。何より例の第1楽章の主題の裏メロが利いている演奏で、デイヴィスの時「他の指揮者でこの手法を聴きたかった」と書いたが、ここで実現した。
うーん、クレルヴォ三昧を始めて聴いた3枚が全部いいな。