口だけ実写アニメの謎
突然思い出したのだが、子供の頃目にしたアニメで、口のところだけ実写になっているものがあった。絵もほとんど動かないので経費節減のためだったのだろう。(けっこう気にが悪かったが)で、個人的にはそれは「ディック・トレイシー」だと思っていた。
なので、改めて調べたらネットで出てくるのは「クラッチ・カーゴ」(冒険王クラッチ)というSFもので「ディック・トレイシー」は通常のアニメであった。
しかしである。私の記憶の中では口だけが動くアニメの主人公はソフト帽、トレンチ・コートという探偵もの、ハードボイルドものの恰好していたはずなのだ・・・・・
これはどういうことだろう。私の記憶違いなのか、そういうアニメがあったが現在ではまったく忘れ去られているのか。どなたかご存じの方がいたら情報を請う。
「ばけばけ」おさわの相手が元のままだったら
奥さんと「ばけばけ」の話になって、おさわの相手役が放送前に替わったのを、私は前の俳優さんが強めのイケメンだったので、逆に今のすこし薄めの(悪口ではない)イケメンなので良かったのでは?と言ったら、奥さんは、だからこそ強めのイケメンの彼で見てみたかった、と言っていた。
男女の違いなのか、単に我々夫婦の感性の違いなのか、なるほどなあ、と思った。
新編・近代美人伝「柳原燁子(白蓮)」「九条武子」長谷川時雨(そして「弥女」の謎)
「新編・近代美人伝」を順番どおりではなく、やはり最近よく触れているこの二人の分から読んだ。筆者は共に親しくしていたのでさまざまな思いが垣間見られて興味深い。前にも書いたが白蓮と武子も盟友の中なので「柳原燁子(白蓮)」には九条武子が「九条武子」には白蓮が顔を出すのも(不謹慎ではあるが)嬉しい。不謹慎というのは、例えば「九条武子」の冒頭で
「九条武子と表題を書いたままで、幾日も何にも書けない。」
という筆者の切ない思いが両編ともにこもっているから、本来はそんなにミーハー的に喜んではいけない、という思いもあるからであった。
余談だが「九条武子」の中で、東西本願寺の成り立ちを説明する段で
「親鸞聖人の娘、弥女が再婚し」
とある。この「弥女」であるが、岩波文庫版では「いやにょ」新編・近代美人伝が抄録されている「長谷川時雨作品集」では「いやおんな」と振り仮名されている。どう読むかはさておいて、どういう意味なんだろうと思ってネットで調べても全く情報が無い。「長谷川時雨作品集」は近年の出版なので岩波文庫版に比して脚注が非常に多くて助かるがこの「弥女」はスルーである。親鸞聖人の娘とは覚信尼の事なので覚信尼の本名かしらと思ったがそうでも無いらしい。
当時では当たり前に通じていた言葉だったんだろうか、それとも長谷川時雨の造語なんだろうか。ご存じの方がいたら御教えを請う。