ブルックナー 交響曲第5番

マタチッチ NHK交響楽団(1967)
マタチッチのブル5はアナログ時代を含めて初めてである。聴きたいと思ったときには入手不可だったりしたためである(チェコ・フィル盤)タワレコに行ったらN馨とのライブが発売されたばかりということですかさず購入。
予想通りだが、テンポの差がシューリヒト並みに激しい。シューリヒトが流麗ならマタチッチは質実剛健、第1楽章導入部は、さんざん遅い演奏に慣れた耳にもさらに遅く、終結部は今まで聴いた中で一番速い。スケルツォはシューリヒト:シュトゥットガルト盤の次に速い。
しかし、マタチッチは「マタチッチのブルックナー」としか言いようのない音色を、どんなオケからも引き出す。それは抗し難い魅力を持つ。
また、使用楽譜が(聴いた限りでは)原典版と改訂版の混合版である。改訂版の欠点をなくし長所のみを残した感じで、ずるいと言えばずるい(笑)
惜しむらくは音源の傷で位相がコロコロ変わる部分がある点。

ブルックナーの交響曲第5番の改訂版のコンセプト

先日、ある方がブルックナー交響曲第5番の改訂版について書かれているのを読んだ。

ブルックナー交響曲第5番の改訂版のコンセプトは「後期ロマン派的」である。
 ロマン派とは”文学趣味”である。
 物語には単純な繰り返しはありえない。
 物語の変化は滑らかに行われる。」

充分に納得できる目から鱗の意見だ。

ブルックナーは、拡大したとはいえソナタ形式を大事にしている。
ソナタ形式とは、煎じ詰めれば「聞き覚えのあるメロディを聴いた時のカタルシスが目的」と言える。
提示部で印象的なメロディをかなで、それを展開部で変奏し、再現部でそのメロディが戻ってくる。展開部は概ね属調なので、主調に戻るというカタルシスもある。

ロマン派は、それを否定しながら発展してきたといえる。実は私がロマン派をあまり好きでない理由がそこにある。マーラーなど、再現部も何もないのだ(そこがマーラー・ファンにはいいのだろうが)
(いや、あるのもあります)
そこでブル5に戻ると、シャルク改訂版は、単純な繰り返しを極力避けるため、オーケストレーションの変更を行い、あげくはフィナーレの再現部カットまで行ったというのだ。
これもまた、納得できる目から鱗の意見である。(あくまで、改訂の理由付けとして)

また、ブルックナーブルックナー休止に代表されるように、曲中に突然音楽世界が変わるのを特徴としている。
よって、改訂版では、そこら辺も、なるべく突然変わらないように編曲される。

ここまでわかると、クナのブル5もまた興味深く聴けるな。
シャルクは尊敬する先生ブルックナーが、その時代に受け入れられるようにとがんばったんだろうな。