ケンペの ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ワーグナーニュルンベルクのマイスタージンガー
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1956)
フェルディナント・フランツ:ザックス
ゴットロープ・フリック:ポークナー
ベンノ・クシェ:ベックメッサー
グスタフ・ナイトリンガー:コートナー
ルドルフ・ショック:ヴァルター
ゲルハルト・ウンガー:ダーヴィット
エリーザベト・グリュンマー:エヴァ
マルガ・ヘフゲン:マクダレーネ
ヘルマン・プライ:夜警

ルドルフ・ショックのワーグナーBOXである。
ケンペは個人的には今まで当たり外れがあったが、これは大当たり、スタジオ録音なのにライブのような躍動感である。モノラルだが生々しい録音と程よいエコーでモノラルであることが全く気にならない。
もともとはフルトヴェングラーのための企画が、1954年にフルトヴェングラーが亡くなったためにケンペにお鉢が回ってきたとのこと。歌手陣の顔ぶれをみると、なるほどなと思う。しかし、すぐにフルトヴェングラーの跡を継いでベルリン・フィルの常任指揮者となったカラヤンに任せず、また、カラヤンがその後マイスタージンガーを録音したのは、ベルリン・フィルではなくシュターツカペレ・ドレスデンというのも、何やら裏があるらしい・・・そういえば、ベルリン・フィル最初のベートーヴェンの第9はフリッチャイだったし・・・
歌手陣は間然することろがないが、以前クナの時に書いたようにフランツのザックスは個人的には重たすぎる。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞について

私は、とりたててボブ・ディランのファンというわけではないが、彼が及ぼした歴史的世界的影響については充分承知している。(洋楽遍歴は同時代のビートルズ・ファンから始まったからね(正確にいうと、その前にミッシェル・ポルナレフ))

今回色々な意見があると思うが、「詩」と「小説」の文学的価値というものが、西洋と日本ではは違う、ということは頭に入れておいてほしい。
西洋文学は「詩(叙事詩)」「戯曲」「小説」の順番で発生し、長らく文学的価値もこの順番であった。
以前、どこかで書いたが、西洋の「詩」は朗読することが前提であり、それは自然に「歌」につながる(吟遊詩人)
であるならは、フォークであろうとロックであろうと、その歌詞に文学的価値がある、と多くの人(西洋人だけかもしれないが)が認めるのであれば、それは充分にノーベル文学賞を受賞してしかるべき理由になるのである。