「いなかっぺ大将」の思い出(から、いろいろな話)

「いなかっぺ大将」の思い出(から、いろいろな話)
いなかっぺ大将(川崎のぼる)は1968年から小学館の学習雑誌で連載が始まった。ということは当時私は小学4年生でリアルタイムで読んでいた記憶がある。
導入部は「巨人の星」のようなスポ根もののような感じで、絵も劇画タッチであったが、徐々にギャグタッチの絵と混在し始め、最後の方はギャグタッチオンリーになる。
1970年から始まったアニメは最初からギャグタッチだったので、ちょっと不満だった思い出がある。
今回、なぜ急にこんな話をしたかというと、今でも記憶に残るエピソードがあり、それを急に思い出したのだ。
田舎で祖父と二人暮らしの大左衛門が、柔道家だった父の親友で、東京に住む大柿矢五郎の家に引き取られ柔道修行をする、というのが最初の設定なのだが、連載も大分後の方になって、その矢五郎が急死、一人残された娘のキク子と大左衛門が結婚する、という話があって(ちなみに二人とも小学校高学年の同級生なので、実質は「ままごと」なのだが)それが、当時やはり小学校高学年だった私にとって、なんか非常に生々しく感じられ、思春期の思い出になっていたのだった。(ちなみに夢オチ)
というわけで、全巻をユーズドで購入してしまった。
そこで改めて知ったのだが、アニメではぼかしてあったが、大左衛門の暮らしていた田舎は「青森」という設定だった!たぶん、当時の「田舎」の代名詞として使用されたのだと思うが、あの「~だす」という方言は「青森」のものではない(笑)
そう言えば西一(にし はじめ)の大阪弁も(当時大阪弁もそんなにポピュラーではなかった)かなり衝撃的だったが、大阪人にしてみれば「あれは大阪弁ではない」らしいし、そんな時代だったのだろう。
さらに話は進むが、アニメで「ニャンコ先生」を演じていたのが愛川欽也で、既に洋画の吹き替え(ジャック・レモン)や「悟空の大冒険(沙悟浄)」や「マッハGoGoGo(覆面レーサー)」で活躍していたが、個人的には「ニャンコ先生」の名演技が、私が声優というものに興味を持ち始めたきっかけになった気がする。小学館の学習雑誌に「ニャンコ先生」の声を演じている人、として若干ボケ気味の写真が掲載されていたのも懐かしい。
ちなみに愛川欽也が深夜ラジオの「パックインミュージック」でブレークするのが1971年である。(中学生なのに、次の日眠くなるのがわかっていて、がんばって聞いたものだ)