娘の応援団姿が地方紙に

今朝の地方紙に娘の応援団姿が掲載された。右から2番目の白い衣装。
ちなみに娘の高校は進学校、相手は野球強豪校ということでコールド負け。

 

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 追記

娘の高校に勝った高校のピッチャーが145キロ速球のプロも注目の選手とのことで

全国レベルのニュースになっていた。よく2点も取った!

コンヴィチュニーの「タンホイザー」

ワーグナータンホイザー」(ドレスデン版)
コンヴィチュニー指揮 シュターツカペレ・ベルリン(1960)
ハンス・ホップ:タンホイザー
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ:ヴォルフラム
エリーザベト・グリュンマー:エリーザベト
マリアンネ・シェヒ:ヴェーヌス
ゴットロープ・フリック:領主ヘルマン
フリッツ・ヴンダーリヒ:ヴァルター
ゲルハルト・ウンガー:ハインリヒ

コンヴィチュニータンホイザー」は、正規録音、しかもオケごと西側に招かれての教会におけるセッション録音。2013年に復刻発売とのこと。
序曲の導入部でいきなり圧倒される。ここまで厳かで厳粛なタンホイザー序曲は聴いたことがない。バランスも武骨で新鮮である。本編に入っても期待を裏切らないコンヴィチュニー節。
歌手陣は、私にもおなじみの名歌手ぞろいで間然するところがないが、あえて言うならヴェーヌスは指定通りメゾに歌ってほしかった。あと、若き日のフィッシャー=ディースカウは、後年よりましだがやはりうざい。
コンヴィチュニーは「トリスタン」「指環」「タンホイザー」と来て、あとは「さまよえるオランダ人」が残っているんだよなあ。

「神秘日本」岡本太郎(1964 2015復刊))

書店で見かけて、手に取ってみて、第1章のタイトル「オシラの魂 -東北文化論ー」を見てでびっくりして迷わず買ってしまった。しかし考えてみれば縄文土器の美術性を初めて見抜いたお方だから当然と言えば当然か。
まだ途中なのだが、東北弁について、当の東北人としても目から鱗の言葉があったので、長いけれど引用する。


純粋に音としてだけ聞いてみる。そこには必ず、生活そのもののリズムが波うち、ひびいている。ズーズー弁といって、とかくコミックに使われたり、軽蔑される東北地方の言葉は、逆に言いようなくリズミカルだ。その美しさが心にしみてから、意味をとる。すると、いかにその音の流れと、表現・内容が切実であり、直接であるかということがわかる。そしてそんな時、ふり返って、いわゆる標準語の、おていさいばかりの空虚さに無性に腹が立つのである。リズムを失った、味もそっけもない、官僚的ないやらしさ。

岡本太郎は音楽の才能もあったろうな・・・

姉妹編の「日本再発見 芸術風土記」(1958)や「忘れられた日本沖縄文化論」(1961)も読みたいな。