モーツァルトの交響曲第39番第4楽章(と三大交響曲)

最近モーツァルトのいわゆる三大交響曲を、ピリオド演奏やテイト盤、ティントナー盤で聞き直したりして、以前から思っていたことを書く。
交響曲の第4楽章は、古くはロンド形式が多かったが、だんだんに第1楽章と同様にソナタ形式で書かれるようになったのだが、モーツァルト交響曲第39番の第4楽章もソナタ形式で書かれている。
通常ソナタ形式は、提示部、展開部、再現部、終結部で構成されており、古典派では最初の提示部は繰り返されるのが典型なのだが、この交響曲第39番の第4楽章は、展開部から終結部までもが繰り返しが楽譜では指示されている。
ピリオド演奏が出てくる前の大オーケストラでモーツァルトを演奏していた時代は、提示部の繰り返しは省略されることが多く、当然ながらこの展開部から終結部までの繰り返しも省略されることが多かったので、私もピリオド演奏を聴くようになったり、ポケット・スコアを買ったりするまでは知らなかった。
で、何が言いたいかというと、この終結部が主調、主音で終わっているにも関わらず、いかにも次がありそうな感じで終わるのだ。
これが、繰り返し演奏にして、終結部から展開部の冒頭が演奏されると、その繋がりが実に絶妙で、この部分のアイデアを思いついたから繰り返し演奏にしたのでは、としか思えないほどである。
しかしそれでも本当の終わりの時には中途半端感が残るのは事実なのだが、アーノンクールが三大交響曲は統一した1作品として構想されたののでは、という説を唱えたと知って、なるほどな、と思った。
つまりは、あえて中途半端な終結感にして次の40番につなげるわけだ。
当時は依頼があって初めて作曲されるはずが、三大交響曲はそれが謎で、さらに演奏された記録が残っていない。モーツァルトが依頼無しに本当に自分の作曲したいように作曲したのであれば、それもあり得るな、と思った。