フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」ローカス賞オールタイムベストの話

先日、フランク・ハーバートデューン 砂の惑星」新訳版を読んだ話を書いたが

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2019/01/06/064713

その解説に、ヒューゴー賞ネビュラ賞に並ぶSF小説に対する賞であるローカス賞が、不定期(約12年毎)に発表しているオールタイムベストで、「デューン 砂の惑星」が1971年から2012年まで4回連続1位になっている、という事が書いてあった。(ただし、2012年版は20世紀限定)

ネビュラ賞は作家、編集者、批評家による選出、ヒューゴー賞は読者による選出だが、選出者の人数の少なさに不満を抱いたSF情報誌「ローカス」が、より広い範囲からの読者投票によるローカス賞を創設した、という背景をみると「デューン 砂の惑星」がどれだけ長い間、読者から支持されているかがわかる。
個人的にはこの作品はなんとなくSFの王道というよりは、脇を攻めた(コアなファンが付いた)名作かと思っていたが、実際はもうこういう評価が確立してしまっているのだ。
考えてみれば、一度映画化され、次に原作付きのSFドラマ・シリーズが、原作から30年以上経っても制作され、さらに50年以上経っても再度映画化の話があるるような作品が他にあっただろうか(あったらごめんなさい)
そういう作品に、ほぼリアルタイムで接する事ができたのは実に幸せであった。

それに加えて興味深いのが、歴代オールタイムベストの2位3位である

幼年期の終りアーサー・C・クラーク(1953)
1975年2位 1987年3位
「闇の左手」アーシュラ・K・ル・グウィン (1969)

1975年3位 1987年2位 1998年3位

私の大好きな作品なので非常にうれしい。
2012年にはベストスリーには入っていないが「闇の左手」は5位、「幼年期の終り」は14位に入っている。

なんだかんだ言っても、昔の作品のほうが面白いんだなあ。

ディーリアス 歌劇「村のロメオとジュリエット」(マッケラス盤)

マッケラス指揮オーストリア放送交響楽団(1989)(デッカ)
ヘレン・フィールド(ソプラノ)
パメラ・ミルデンホール(ソプラノ)
サミュエル・リネイ(ボーイ・ソプラノ
アーサー・デイヴィス(テノール
バリー・モーラ(バリトン
スタッフォード・ディーン(バリトン
トーマス・ハンプソン(バリトン
アーノルド・シェーンベルク合唱団

ディーリアスを指揮するマッケラスは、ディーリアスにふさわしくないテンポ変化や盛り上げがある演奏と、一転幽玄と寂静に徹した演奏があり、けっこう振り幅が広い。
この「村のロメオとジュリエット」の場合は、その中間と言った感じで、良いバランスが取れている。
同年に単独で演奏された間奏曲「楽園への道」
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2018/11/09/045300
と聴き比べてみても、単独演奏と全曲演奏の中で演奏される場合とは演奏の意義が違う、という点もあるけれども、全曲演奏のほうが抑制が効いているのがわかる。
メレディス・デイヴィス盤と並んで、標準盤として充分に推せる演奏。けだし名演。
このマッケラス盤の音源に映像を乗せた映画があるらしいが、某通販サイトでは出てこない(DVDがあるはずだがLDしか出てこない)うーん、見てみたいぞ。
と思ったら、youtube ですべて見れるではないか!
こちらは主人公の子供時代のハイライト。

youtu.be

NGT48の事件

前にも書いたが、特にアイドルやAKBとかに興味があるわけではない。
以前、なんとはなしに見ていた昨年の例の総選挙で過呼吸スピーチのNGT48の荻野由佳を見て、面白い(失礼)キャラの子がいるなと思い、ちょっと他でも見たくなった。
「イッテンモノ」に出演して、これからも全国放送で見れるかな、と思ったら後が続かなかった。
そうこうしているうちに、昨年秋、新潟の地方局のNGT48の冠番組「にいがったフレンド」が青森県でも放送され始めた。お、これで荻野由佳も見れるかな、と録画し始めた。
最初は放送エリア拡大記念ということで、NGT48内の青森県出身の3人による青森ロケという事で、当ては外れたのだが、ゆるい感じの番組は好物なので続けて見ていた。
その青森県出身の3人のうちの一人が今回の事件の被害者山口真帆で、なんと八戸出身なのだ。
芸能界の闇なんだろうが、せっかく地方アイドルが他の地方に進出するパターンを目の当たりにし始めた時期だけに残念は残念である。
しかし、今回指原莉乃が強い物言いをしているし、直接関係は無いが小栗旬が俳優のための労働組合を作るという話もあるし、芸能界もいい方向にいってくれるといいな。

ディーリアス 歌劇「村のロメオとジュリエット」(デイヴィス盤)

ディーリアス 歌劇「村のロメオとジュリエット」

デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1971)(EMI)
マンツ:ベンジャミン・ラクソン(バリトン
マルティ:ノエル・マンギン(バリトン
サリ(子供時代):コリン・マンリー(トレブル)
ヴレンヒェン(子供時代):ウェンディ・イーソーン(ソプラノ)
サリ:ロバート・ティアー(テナー)
ヴレンヒェン:エリザベス・ハーウッド(ソプラノ)
ダークなフィドラー:ジョン・シャーリー=カーク(バリトン
ジョン・オールディス合唱団

ドイツの作家ゴットフリート・ケラーの短編小説「村のロメオとユリア」(岩波文庫が出ている)を原作とした1901年に作曲されたオペラで、スイスの農村を舞台とした、敵対する農夫同士の息子と娘の「ロメオとジュリエット」さながらの悲劇を描く。
音楽的には、中期の始まり(1900)で、ディーリアス独特の息の長い美しいメロディが満載である。
独立して演奏されることが多い第6場前の間奏曲「楽園への道」を始め、管弦楽部分も素晴らしい。
メレディス・デイヴィスの指揮はディーリアスにしては起伏を大きくし過ぎの気もするが、素直に感動できる。
歌手陣であるが、あえて主役二人について言うと、テノールはヘルデン・テノールっぽいのが違和感があり、ソプラノはもっと若々しい声であってほしかった。

「ボヘミアン・ラプソディ」を見た人が

ボヘミアン・ラプソディ」はまだ見ていない。いつか見るかもしれないが、今のところ見る予定はない。
クイーンの事をあまり知らないある知り合いの女性が「ボヘミアン・ラプソディ」を見たようで、私が多少ロックを知っている事をご存じでこんな事を聞いてきた。
「「ボヘミアン・ラプソディ」って曲は、フレディがエイズになる前に書いた曲よねえ?」
最初、意味がわからず「そうですよ」と答えたのだが、どうも映画のエンディングに流れ、かつ「ママ~」「さよなら~」「死にたくない~」という歌詞から、エイズになった後のフレディの感情をうたっているように思えたようだ。
そこで、これはある少年が殺人を犯して死刑判決を受けた時の少年の感情を歌っているのだ、と説明しておいた。
もしかして、そういうふうに勘違いしている人もいるのか?

 

ディーリアス 歌劇「コアンガ」

ディーリアス 歌劇「コアンガ」
グローヴズ指揮 ロンドン交響楽団(1973)(ワーナー)
コアンガ:ユージーン・ホルムズ(バリトン
パルミラ:クラウディア・リンゼイ(ソプラノ)
ドン・ホセ・マルティネス:ライマンド・ヘンリンクス(バス)
サイモン・ペレス:キース・アーウェン(テナー)
クロティルダ:ジャン・アリスターコントラルト)
ラングワン:サイモン・エステス(バス)
ジョン・オールディス合唱団

「ラ・カリンダ」で有名な歌劇「コアンガ」であるが、内容を知ってびっくり。なんと黒人奴隷同士の悲恋なのだ!ガーシュインの「ポーギーとベス」(1935)よりはるか前に(1897)黒人が主役のオペラがあったとは!寡聞にして知らなかった。
南北戦争が終わったのが1865年とはいえ、当時こういう「ど直球」の黒人奴隷制度批判的なオペラがあったというのも驚きだが、当時の世界ではアメリカの奴隷制度に対する世論的なものはどうだったのだろう。
話の内容はそんな感じなのだが、音楽的には前期の作品ということもあろうが通常のオペラである。しかしとにかく美しい。非常に親しみやすく聴きやすい。なんでこんなに美しいオペラの録音が少ないのか(現在入手可能なのはこのグローヴズ盤のみ!)話の内容のせいなんだろうか。なんか腑に落ちない。
冒頭で書いた「ラ・カリンダ」であるが、今回オペラで聴いて管弦楽曲として演奏されている「ラ・カリンダ」は、実は独立した管弦楽曲ではなく、独唱と合唱の伴奏部分であることを知った。伴奏部分だけであんなに美しいのだ!それが主旋律(伴奏のメロディとは違う)が乗っかると美しさ倍増である。なんという曲である事か。