あるラストエンペラー

中国の西晋の愍帝という皇帝がいた。わかりやすくいうと三国志の魏を滅ぼして中国を統一した西晋の最後の皇帝なわけだが、昔からこの人は気になる存在だった。
北部から漢(前漢後漢ではなく、漢化した匈奴が名乗った国)に攻められ西晋が滅び愍帝は捕虜になる。狩の勢子や宴会の酌と杯洗をやらされた挙句に殺されるのであるが、安能務さんの「中華帝国志」(こちら)では、そんなことを、元皇帝としての気概も無く恥じらいもせずやる姿に漢帝があきれて、無用の長物として処刑、と書かれている。
そもそもなぜ彼はすぐに処刑されなかったのだろうか。
漢化した匈奴漢民族に対するコンプレックスの裏返しで辱めたのだろうか。
それとも漢化を進めるため、役に立つかもしれない元の漢民族皇帝を生かしておいて様子を見たのだろうか。安能さんの書き方はそのニュアンスがある。
そして、すぐに処刑されなかった時点で愍帝は何を思ったろうか。即位時から自分は傀儡に過ぎないことを知っていたろうから、すでに達観して流れに身を任せていたのだろうか。それとも漢民族ならたぶん誰でも知っている臥薪嘗胆の故事にならってひたすら耐えた姿が上記の姿だったのだろうか。
そうなると匈奴とはいえ漢帝もその故事を知ったいたはずだから、本当はあぶないぞと思って処刑したのかもしれない。歴史的には愍帝が何を思ったのかは資料が残っていない(はずだ)が興味が湧く。ちなみに漢(前趙)は翌年部下の石勒(羯族)に滅ぼされる(石勒は後趙を建てる。まさに五胡十六国時代