ベルリオーズ「葬送と勝利の大交響曲」

ベルリオーズ「葬送と勝利の大交響曲
デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 合唱団(1985)
デュトワベルリオーズBOXで「ロメオとジュリエット」の2CD目にカップリングされていた曲。
以下、ウィキペディアによると
ベルリオーズ交響曲はいずれも何らかの点で破格なものであるが、この交響曲も大編成の軍楽隊(吹奏楽)によって野外で演奏される作品として書かれた。後に任意として、弦楽器や合唱のパートが追加されたが、元の管楽器のパートはそのままであり、この点でもオーケストラ作品としては異例といえる」
前にも書いたが、つくづくベルリオーズはジャンルフリーなのだと痛感する。
葬送行進曲、追悼(アダージョ)、アポテオーズ(アレグロ)の3楽章から成る。
切ない曲調を激しめの吹奏楽が奏する、という不思議な魅力を持っており、これも実にいい曲である。オリジナルの吹奏楽のみの演奏があったら一辺聴いてみたいものだ。
近年ベルリオーズの再評価が進んでいるというが、まだまだこういったいい曲があるんだろうな。

八戸の熊被害

近年目撃情報が増えていた八戸の熊であるが、とうとう人的被害が出てしまった。
下の写真の右上の〇より東側の雑木林で自衛隊員が、下の〇の小学校あたりで女性が襲われた。(この東はもう海)
近年目撃情報が増えていたのは左の〇、西霊園(父の墓がある)から八戸北バイパス(国道45号線)を越える橋である。その西側の山林が生息地と思われる。ちなみにそこは散策に最適だったのだが、熊が出始めて行けなくなって寂しい思いをしていた。
やはり、冬眠前に胃に溜め込むための餌が不足しているのだろうが、人間、熊、双方に最も良き解決があることを祈る。
さらにちなみに、左上の角あたりがうちの会社。

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ベルリオーズ「レリオ、あるいは生への復帰」

ベルリオーズ「レリオ、あるいは生への復帰」
デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 合唱団(1996)
ランベール・ウィルソン(ナレーション)
リシャール・クレマン(T)
ゴードン・ギーツ(T)
フィリップ・ルイヨン(Br)

デュトワベルリオーズBOXである。「幻想交響曲」の続編として作曲されたという作品。「幻想交響曲」は純粋管弦楽だが、こちらは(以下ネット情報を引用)

これはほとんど音楽ではないのである。「独白劇」という標題が示す様に、舞台上ではレリオを演ずるひとりの俳優が膨大な台詞を語り、幕の背後に隠されたオーケストラと独唱、合唱が、彼の心象風景を描く音楽をはさんでいく。最後の曲に移る前に幕が上げられ、レリオはオーケストラに稽古をつける。再び幕が下ろされ、レリオは舞台から立ち去る。
まるで前衛劇である。ベルリオーズの作った最も奇妙な作品であるのはもちろん、音楽史上でも、ほとんど類例を見ない。

という特異な作品。
ベルリオーズというひとは、ジャンルフリーというか、表現したいもののためジャンルを創造してしまうという人なのだ。すごいな。
曲の方は他のベルリオーズの傑作群に比しても何ら遜色がない出来。これも一聴の価値があろう。

「おんな城主 直虎」あれこれと石川数正の話

世間ではいろいろ言われているが、政次ロスを乗り越えて現在も大変面白く見ている。
六角精児が出てきて、さて何の役かと思っていたら、まさかの本多正信で、これは嬉しいサプライズ。
そもそも後に徳川四天王と言われるようになった井伊直政であるが、他の3人よりはるかに年下である。年下という事は家臣としては後発、さらに国衆上がり、ということで、そんな直政がなぜ徳川四天王にまでなれたのか、それを「おんな城主 直虎」は納得させてくれる展開になっている。
個人的には次回にせまった、菜々緒演ずる瀬名(筑前殿)と平埜生成演ずる信康の死が切ない。今まで小説やドラマでは筑前殿は今川の高慢な女性として描かれてきたが、今回は井伊の女性として別の描き方をされてきたからなおさらである。
武田への内通を疑われて信長の命により、ということなのだが、信長の命ということにして家康自身が信康を殺した、という説もある。(以前こんなことを書いた)
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/20060915/p2
そこで、石川数正の話である。家康家臣であり、信康の後見人として実質信康に仕えていた数正は本能寺の変の3年後に突如秀吉の元へ出奔するが、その理由はいまだに定説が無い。
しかし、信康への思いが強く、たとえ信長の命とはいえ(家康の命ならなおさら)信康を殺した家康を許せなかったのではないか?
そう考えると「おんな城主 直虎」に登場する石川数正のセリフや演技も興味深く見れるというものだ。

インバルのベルリオーズ「幻想交響曲」

ベルリオーズ幻想交響曲
インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団(1987)
インバルのベルリオーズBOXである。
非常に渋い、虚飾を排した真摯な演奏で、まるで別の曲のようである。
こういう曲をこういう風に演奏すると、中身が無いのが露呈してしまう、と言ったら言い過ぎであるが、これは好みの分かれるところだろう。個人的には好きだけどね。