アイザック・アシモフ「ファウンデーション・シリーズ」久々の再読

Apple TV のオリジナルSFシリーズとして「ファウンデーション・シリーズ」が実写化される、というニュースを受けて、久々に読み返してみた。
一時期、最初の3部作が古色蒼然と思えた時期があったが、いま読み返すとそれを通り越して、やはり抜群に面白いと思った。
今回、シリーズ再開後の「ファウンデーションの彼方へ」「ファウンデーションと地球」まで読んだのだが(若干ネタバレになるが)最後の最後で人類の未来の決定を託された人物が、なぜ自分は「ガイア」という、いわゆる人類共同意識体を選んだのか、の答えとして、人類以外の生命体の存在の可能性を示唆する。
以前も書いたが、アスタウンディング誌のキャンベル編集長が「異星人=有色人種、地球人=白色人種の勧善懲悪」パターンをSF作家に強要したため、それを避けるためにアシモフは自分の作品に異星人を極力登場させなかった。
なので、先ほどの記述はまさにアシモフがキャンベル編集長の呪縛から解放された事を意味する。(似たようなことを「ネメシス」の時にも書いたが「ネメシス」は「ファウンデーションと地球」以降の作品になる)
しかし、悲しいのは「ガイア」というのは「争い」をなくすための形態のはずなのに、結局「異星人」に対抗するためには「ガイア」という形態をとるしかない、と結論付けている事だ。
本来なら、その「異星人」とも共に「ガイア」を形成していく、というのが「ガイア」本来の目的ではないんだろうか。