ジェネシス ライヴ・イン・ロンドン 1976

ジェネシスには"Seconds Out" (眩惑のスーパー・ライブ)というピーター・ガブリエル脱退後のライブ盤があって、チェスター・トンプソンがサポート・ドラマーとして叩いているのだが「ザ・シネマ・ショウ」1曲のみ、我が最愛のドラマー、ビル・ブルーフォードが叩いている。他の曲は1977年「ザ・シネマ・ショウ」は1976年の演奏なのだが、どういう事情でこの1曲だけ1976年の演奏が採用されたのか、定かではない。よほどこの演奏の出来がよかったとメンバーが判断したのだろうか。
この曲は、最初しばらくドラム無しで進むのだが、ドラムが入った直後のハイハット・ワークの絶妙さに、アナログ時代腰を抜かすほど感動したものだ(ヘッドホンとかで聴かないとわからないかもしれないが)ちなみに、この演奏かどうかは知らないが、かのジョン・ウェットンがビルのジェネシスでの演奏を会場で聴いて涙を流して感動して、絶対にもう一度このドラマーとバンドを組むのだ、と決心して「UK」を結成した、という都市伝説がある。
で、長い前置きだったが、以前、ピーター時代の「眩惑のブロードウェイ」のライブ盤を買った話を書いたが

https://hakuasin.hatenablog.com/entry/2020/06/23/055843

そのシリーズでなんと、ビルがフルで叩いているライブ盤が発売されていたことを今まで知らなかった!ので、慌てて購入。上記の演奏が 1976年6月23日のパリ、こちらは同年の6月10日のロンドンで、約2週間前の演奏という事になる。、
抜けのいい鋭角的なスネア音がもうブルーフォード節で嬉しくなってしまう。単調なリズムの曲ではしばしばスネアのタイミングをづらしたりして、おいおいビル、それをやってしまってはジェネシスではなくなるではないか、等と楽しいツッコミを入れながら堪能した。
ビル以外の話でいうと「侵入」収録の「ホワイト・マウンテン」が珍しく演奏されている。
「侵入」は、次作の「怪奇骨董音楽箱」以降があまりにも良いので、どうしても「名曲「ザ・ナイフ」が収録されたアルバム」以上の評価が聞こえてこないのだが、不当に過小評価されていると思う。
また、ラストに「イット~ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」のメドレーが収録されおり、曲名を見た時は「フィル・コリンズが歌う「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」が聴けるのか!」とわくわくしたが「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」は間奏以後のインストのみであった。ちょっとがっかり。

 

 

訃報 高見知佳

先日の御厨さと美の訃報もショックだったが

https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20100713/p1

https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20101002/p1

やはり年下の高見知佳の訃報はショックである。

「ミスティー・ブルー」は名曲だし、名歌唱だと思う。もっと評価されてほしい。

https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20050207/p1

youtube.com

 

鎌倉殿の13人 トウ主演でスピンオフ・ドラマを期待

鎌倉殿の13人の「のえ」(正史では伊賀の方)は流罪後わずか4ケ月で死亡したとのこと(死因は不明)
義時に毒を持っていた事を知った北条氏の誰かが、最後の仕事としてトウに暗殺を命じた・・・なんてスピンオフ・ドラマは実現しないもんだろうか。
では、誰が命じたか。
政子はあんな感じだから、もう義時の復讐とかは考えないだろう。泰時、時房もキャラではない。
となると、のえの口から毒を渡した事が露見するのを恐れた三浦義村か?
義村は伊賀の変に関わって、政子に直談判されて翻意したというから、念には念を入れてのえの口封じをたくらんだか?義時のかたき討ち、と持ち掛ければ、トウも納得するとふんだか?トウも義村の企みを知りつつ、個人的な感情で実行へ・・・?
なんて、妄想は限りなく膨らむ(笑)

 

M-1 2022

個人的には、ヨネダ2000、男性ブランコが最終決戦に行ってほしかった。
最終決戦は、さや香ロングコートダディの対決かと思ったが、あそこまでウェストランドにかたよるのは疑問。たぶん毒舌に審査委員が反応したんだろうが、優勝後に彼らに先があるのか、というとかなり疑問。
キュウはM-1向けを意識しすぎたか、いつもの感じが見たかった。

別れろ切れろは、芸者の時に言う言葉

相変わらず前置きが長いです。
子供の頃、テレビで見たコントや寸劇では、当時の大人にはたぶん誰でも知っていたであろう映画や芝居のパロデイ的なものがあって、例えば

「来年の今月今夜、再来年の今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らせてみせる」

等、よく使われていて、子供の時には分からなかったが、のちには「金色夜叉」のセリフだったんだな、と知ったりする。

で、先日の「ドリフ大感謝祭 ありがとう仲本工事さんスペシャル」のコントで

「お蔦、俺と別れてくれ」
「別れろ切れろは、芸者の時に言う言葉、今のあたしにはいっそ死ねと云っておくんなまし」

というセリフを聞いて、ああこれも当時随分テレビで見たなあ、と懐かしくなった。
懐かしくはなったが、上記の「金色夜叉」と違ってこちらは全く出典を知らない事にも気づいた。
で、調べたところ泉鏡花の「婦系図(おんなけいず)」であった。っていうか、寡聞ながら泉鏡花は名前は知っていたが「婦系図」は知らなかったなあ。まだまだ不勉強だ。

ちなみに、このセリフ、原作には無く、芝居や映画化の時に作られたセリフなんだとか。