黄門さまと犬公方(1998)

山室恭子
先日、「逆説の日本史 13」(井沢元彦)を読んだら、この本のことが書いてあり、興味を持ったので読んでみた。「諸国漫遊」はフィクションとしても、黄門様はそこそこ名君だったのではと漠然と思っていたし、綱吉も、浅野刃傷の裁決は正しかったとは思うが、やはり漠然と「生類憐れみの令」を出したバカ殿だと思っていた。が、けっこう目から鱗で、いかに我々が(一般的な学者連中も)いいかげんな資料で、思い込みで語られたものを鵜呑みにしているかがわかった。綱吉の方を結論から言うと、「生類憐れみの令」は、いかにも人間の方が虐げられていたような印象を我々は持っているが、確かにある程度そういう問題はあったろうが、我々が現在思っているほどでもなかったと言うこと。(と、綱吉の真意。自分に子供が生まれないのは前世の殺生のせいで、子供が生まれるためには生類を、特に綱吉は戌年なので犬を大事にしろという僧侶の言葉にしたがったというのは、後世の創作だった!)
ここで思い出すのが「元禄御畳奉行の日記」である。この本について語るのは、今回の本意では無いので簡単に書くと、時代はちょうど綱吉の頃、尾張藩の中級(中の下?)武士がやたら筆豆で、日々の出来事を詳細に書き残し、それが現在の歴史研究の1級資料となっているのだが、この中で魚つりをあたりまえのようにするシーンがある。解説をみると、江戸では厳しかった「生類憐れみの令」が、遠い名古屋では(御三家の、将軍家何するものぞ、という土地柄もあったと思うが)ゆるかったという証拠だ、みたいに書いてあるが、「黄門さまと犬公方」に従えば、何のことは無い、始めから「生類憐れみの令」は、日本全国津々浦々、厳しかったわけでは無いという証拠に替わってくるではないか。歴史研究とは、つくづく難しいものだ。